第三百二十五夜

 

カップになみなみと注いだココアを片手に書棚を見回し、雑誌を手に取って指定された番号の席を目指してそろそろと歩く。

間もなく扉の空いたままの座敷席を見つけ、荷物を置いて靴を脱ぎ、背後の扉を閉める。

出先で時間が空いたとき、しばしばこうして漫画喫茶に立ち寄って時間を潰す。喫茶店が嫌いというわけではないが、どうせ上品な飲み物の味がわかるような上等な舌はしていないし、何よりも出先で靴を脱いで寛げるのが有り難い。

条例だったか法律だったかで規制され、扉は膝元から上しかなく、胸の高さに大きな覗き穴が空いている。これを落ち着かないと思う人もいるだろうが、わざわざ覗き込んでくるような不心得な者もそうはいない。気になる人は上着をハンガで掛けて窓を塞ぐようだが、こんなおじさんを覗いて嬉しい人も珍しかろう。脱いだコートは適当に畳んで荷物の上に乗せておく。財布や定期入れをわざわざポケットから出して扉へ掛けるほうが煩わしいという判断だ。

ココアをひと舐めし、座椅子の背もたれの角度を調整して背を預け、そのまま背筋を伸ばす。寒い中を歩くとどうしても背が丸くなり、肩が凝る。二、三度首と肩とを回して、もう一度ココアを舐める。香りも味も徹底的に甘く、あちらこちらの筋肉が緩むような気がする。

スマート・フォンのアラームをセットして、時折ココアに手を伸ばしながら腹の上で週刊誌のページを繰る。半分ほど流し読みをしたところで、ちびちびと舐めているつもりのカップがいつの間にか空になっていたのに気付く。

時計を見ればまだ暫く時間に余裕がある。お代わりを取ってこようと、空のカップを片手に狭いブース内で四つん這いになると、先程脱いだ革靴の先、閉じた扉の向こうに、赤いパンプスとベージュを履いた細い脚の膝から下が二本、こちらを向いて立っているのが見えた。

たまたま通りかかったのなら、爪先がこちらを向いたまま立ち止まっているはずがない。何を覗いているのかとやや腹を立て、文句の一つも言ってやろうと、脚の上の覗き穴を睨む。が、穴の向こうには向かいのブースの壁とその先の天井しか見えない。

穴の下端はみぞおちほどの高さほどで、小学校の高学年くらいの身長でも頭くらいは見えるはずだ。まして高いヒールを履くような女性なら、頭の先すら見えないなんてはずがない。

一瞬でそんなことを考え、咄嗟にもう一度足元を見ると、無い。赤いパンプスの脚は、一瞬で、音も立てずに消えていた。

そんな夢を見た。