第三百二十三夜

 

仕事の都合で二週間だけ、急に他県へ赴任することになった。従業員にインフルエンザが蔓延して仕事が回らなくなったのを、各地から人員を掻き集めて補うためだ。

僅かな期間の赴任だが、それなりの人数をビジネス・ホテルに泊めるほど余裕のある会社でもない。付き合いのある会社を幾つか当たって独身寮などの空き部屋を安く融通してもらい、なんとか部屋を確保したという。

赴任初日の前夜に、大荷物を抱えて割り当てられた寮を尋ねると、年配の寮長が、
「こんな時期に遠くから、大変ですね」
と笑顔で出迎えてくれ、寮内の設備を案内してくれた。

大風呂の利用時間の終わりが近いというので、近くのコンビニエンス・ストアの位置だけ彼に尋ね、荷物を部屋に置いて直ぐ風呂を頂き、夜風に吹かれながらささやかな晩酌の酒と肴とを買って部屋に戻るまでを三十分ほどで済ませる。

要領が悪くていつも忙しなく落ち着かない思いをしていた新入社員時代を思い出しながらテレビの電源を入れ、缶ビールのタブを引き起こすと幸せな音がする。

小さな台所に備え付けられた電子レンジへ焼鳥の缶詰を入れ、新幹線の中で読んだ新聞を一枚剥ぎ取って畳み、鍋つかみ兼鍋敷きを用意して、温まるのを待つ。

と、直ぐ側で、女が小さく短く囁くような声が聞こえる。もちろん、女性を連れ込んだわけではない。部屋には私一人だ。
――テレビの声が、何かの都合で近くに聞こえたのだろう。
そう思うと間もなくレンジが電信音を鳴らすので、新聞紙の鍋つかみでそれを掴んで居間に戻る。

ご当地の見慣れないテレビ局のチャンネルを回してニュース番組を見つける。熱い焼鳥と冷たいビールには、落ち着いた声の女性アナウンサがよく合う。

小一時間晩酌を楽しんで、そろそろ床に就こうと、開けた缶を片付けに台所へ行って水で流す。と、また小さく短く、女の声がする。音の出処は、どうやらレンジの下の冷蔵庫のように思われる。
――こういう機械は小さく振動しているものだから、どこか擦れてこういう音もするものだ。
洗い終えた缶の水気を切って伏せ、簡単に歯を磨くと、酒のお陰で安い寮の布団が実に心地よい寝床となった。

そんな夢を見た。

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