第三百二十一夜

 

仕事に一区切り付いた祝いに酒を飲み、二次会三次会へだらだらと付き合っているうちに、うっかり最終電車を逃した。

タクシィ代は財布に響くと嘆いていると、後輩の一人がJRの駅を指差しながら、
「うちで良ければ」
と言って一夜の宿を提供してくれると言うので、お言葉に甘えることにして改札をくぐる。

私鉄は安くて速い上に沿線もなかなかに便利なのだが、終電が早いのだけは困るなどと勝手なことを言っているうちに彼の最寄り駅に着き、夜風に首を竦めながら改札を出る。

駅前の二十四時間営業のデパートで明日の朝食と着替えとを買い、人気のない夜道を歩いていると、彼のアパートへ着く頃には酔いも殆ど醒めてしまっていた。
「狭いところですが」
と招かれたワンルームは、三十路手前の男の一人暮らしにしては随分さっぱりと片付いた洒落た部屋で、感心するとともになんだか落ち着かない。

押入れから毛布を取り出す後輩に出窓の脇に置かれたソファで寝るように指示され、その足元に荷物を下ろして上着を脱ぐ。小用を催してトイレの場所を尋ね、小さなキッチンの向かいの扉だというので居間を出る。

丸いドアノブを軽く掴んで捻ると、ガチャリと抵抗があって手が滑る。訝しみつつもう一度、今度はノブをしっかりと握りゆっくりと捻ると、十度程回したところでガチャリと鳴って、それ以上回らない。居間を振り向いて
「何か、鍵が掛かっているみたいなんだが……」
と声を掛けると、
「そこの五円玉で、真ん中のミゾを縦になるように回してください。ノブに糸で結んで垂らしてあるでしょう」
と言う。確かに、ノブのくびれに凧糸が結ばれ、その先に孔を通した五円玉が一枚ぶら下がっている。それを手に取り、ノブの中央で水平を向いたミゾに挟んで縦に回すと、カチリと小さく音がする。

ゆっくりとノブを捻ると、今度は何の抵抗もなく周り、手前に引くと何の抵抗もなく扉が開き、無事に用を足すことができた。

ハンカチで手を拭きながら居間へ戻り、
「いつも、ああやって便所のドアの鍵を掛けてから外出してるの?」
と尋ねると、
「いや、あの鍵、偶に勝手に締まるんですよ。事故物件なのと関係あるのかどうか」
と首を傾げる。

それがあまり頻繁だからノブに五円玉を掛けておくようになったのだと笑う彼を見ながら、朝までゆっくりと寝られるかという不安が胸に湧いた。

そんな夢を見た。

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