第二十七夜

指に巻いた縄を肩に担ぎ、満月の低く昇る山道を登る。酒屋の主人と酒代を負ける負けないを決めるのに指した将棋が長引いて、家路に着くのが遅くなった。勝って上機嫌の奴さんが提灯をと申し出たのを、負けて負からなかった口惜しさに強がって断ったのはこれまた悪手だったかと思うとまた口惜しい。道も半ばをとうに過ぎて引き返すも今更だが、引き返したところで奴さんにやっぱりと云って灯を乞うの恥を重ねるほど面の皮も厚くない。

自然と歩き方にも苛立ちが出て肩が揺れる。肩が揺れるとその後ろ、指から伸びる縄に首を括られた瓶子の中でとぷりとぷりと粘り気のある音が立って、そろそろ味噌に漬けておいた芹が食い頃かと思い立つと苛立ちが多少紛れて頬が緩む。満月にちらほら咲き始めた裏山の桜を愛でながらぐいぐいいくが好いか、今度こそ酒屋の主人にぎゃふんといわせるために駒を並べながらちびちびやるが好いか……。

そんなことを考えながら鎮守の森の裏手へ差し掛かると、森の下生えががさりと揺れて、黄色く光る玉が二つ現れて思わず後退る。いや、巨きな虎である。彼はぐるぐると喉を鳴らし、右に首を傾げ、げふと一つ咳払いをして、
「いや、脅かして済まない」
と人語で詫びた。呆気にとられた私が口を開けて呆けていると、朧月を眺めているところに酒の匂いがして堪らず出てきてしまったと云って、太く丸々とした前足で耳の後ろを照れくさそうに掻く。瓶子は栓がしてあるのにそれでも酒が匂うかと間の抜けた質問をすると、虎になってからは目も鼻も人の頃よりずっと効く、ただ花の色のさやかに見えぬのが口惜しいと云って目を伏せ、鼻から息を吐く。どうやら溜息のつもりらしい。再び燃えるような目をこちらへ向けた彼は、
「それはそうと、取引をしないか」
と持ちかけた。

曰く、灯も無しに歩くのは、月夜と云えど難儀だろう。狼どもの臭いはしないが、起きてきた熊が近くをうろついている。家まで無事に送り届ける代わり、一杯酒を御馳走して呉れはしまいか。いや、本当に一杯で好い。元来酒に強くはないし、この身で酔っては何を仕出かすか。恩を仇で返すような真似は本意でないから、本当にわずかだけ、気分だけ、春の花見、月見の気分を味わわせては呉れぬか、と。

ただの獣ならば私を食い殺して酒もつまみも手に入れれば好かろうに、こうして頼み込む姿に気の毒な気がして、夜道に送り狼どころか送り虎なら心強い、まして花見、月見に一人酒では侘しいところ、盃を交わす相手まで手に入るとあっては断る道理もない。快く取引を呑むと告げると、彼は私の股を後ろから潜ってその背に乗せ、山道を風になってあっという間に私のあばら家へ駆けた。

彼を庭へ案内して少し待たせ、つまみと盃を持って縁側へ出る。腰を下ろし、庭に這いつくばる彼に盃を勧めると、
「獣の舐めた器とあっては、もう人様にお出し出来なかろう。私はここに、約束通り一杯頂ければそれで十分」
と、前足から器用に一本だけ爪を伸ばして、沓脱石に軒からの雨垂れが穿った小さな窪みを示すので、瓶子の栓を抜いてそこへ注ぐ。ではご返杯と云うと、彼は私の手から鋭く太い牙の生えた口で瓶子を咥え、私の手の盃に酒を注ぎ、縁台に瓶子を置く。器用なものだと感心すると、伊達に長いこと虎をやっていないと云う。どうも理屈に合わぬ物言いだと首を撚る私に、彼も全くだと返して、笑い合った。

彼はだんだんと昇ってゆく月を眺めては沓脱石の酒をちびりと舐め、桜をつくづくと眺めては目を細めてちびりと舐め、また月を振り返ると雲に隠れて朧なのを見遣り一つ大きく鼻から息を漏らしてちびりと舐める。

そんな彼を横目に見ながら盃を静かに傾ける。

そんな夢を見た。