第百一夜

 
何やら嗅ぎ慣れぬ甘い香りに意識が覚醒した。目を開くより先に、糊の利いたシーツが地肌に触れる感触でそこがホテルの一室であることを思い出す。

目を開けて上体を起こすと、掛け布団がずれて横に眠る女の肩口が覗く。冷たい空気の入らぬよう布団を引っ張り上げてから、辺りを見回して、甘い香りの原因を探す。少なくとも女の化粧や香水で嗅ぐ匂いではない。

と、薄暗い枕元に黄色い果物が置かれている。バナナである。

昨晩、眠る前にこんなものが有ったろうか。自分にはそんな趣味は無いし、バナナ自体好んでは食べない。風邪を引いたときにしか食べられない高級品だったのだと言って勧めるベビーブーム世代の母の言葉が子供ながらに恩着せがましく感じて以来、特に味や香りが嫌いでも無いのに、見ると食欲を失くすようになっていた。今思えば子供に旨いものを食べさせたい親心だったのだろう。

しかし、寝ている間に誰がバナナを持ち込んだのか。目の前で寝ている女以外になかろう。

パチリと女の目が開いて、微笑みながらおはようと言う。
「それ、何?」
と私の指差す先へ頭を回すと、枕の上で髪が幾重にも同心円状の弧を描く。
「バナナ」。
それは見ればわかる、と言いたいのを飲み込んで、
「ダイエットか何か?」
と尋ねる。朝食にバナナを摂る痩身方法があると、妹か母かに聞いたような憶えがあった。彼女は首を左右に振り、
「ううん、おまじない」
と、顔を赤らめた。

何を恥ずかしがっているのか分かりかね、理由を尋ねる。
「童謡のさっちゃんってあるでしょう?」
実はさっちゃんは実在の少女で、事故で脚を切断されて亡くなったのだという。それで、夜中に掛け布団から脚を出して寝ていると、その脚を奪いに化けて出るという話があるのだそうだ。
「でもね、さっちゃんはバナナが大好きだから、バナナが置いてあるとそれを持って帰るだけで、無事に済むの」
最後には何故か誇らしげに断定する彼女に、
「毎日バナナを?」
と尋ねると小さく頷き、
「先に目を覚まして食べちゃうつもりだったのに……」
と、布団の端を掴んで目元まで隠れて、恨めしげにこちらを見上げた。

そんな夢を見た。