第七百九十七夜

 
 深夜勤務のためにバック・ヤードへ入って着替えを済ますと、今日はシフトに入っていないはずのアルバイトの高校生が笑顔で立っていた。彼女が笑顔なのはバイトの面接で初めてあって以来いつものことで、愛嬌の良さは接客には向いていると直ぐに採用して働いてもらっている。
 シフトの確認にでも来たのかと尋ねると、
「店長って、ずっとこの辺りに住んでらっしゃるんですよね?」
と小首をかしげて見せる。
「そりゃあもう。君んとこの一家がこっちへ越してきたとき、地鎮祭のお神酒を用意したのがウチだって話、前にもしなかったっけか」。
 彼女の言う通り、かれこれ半世紀ばかりずっとここらに暮らしている。かつての我が家は一階を店舗にしたワンルーム・マンションに改装して別に家を借りてはいるが、代々受け継いだ酒屋は今も健在、実質コンビニエンス・ストアと化してはいるが、受け継いだ土地の立地の良さとお客様のお陰で今も店を続けられている。色々と時代の流れもあって、店舗の方はほとんどコンビニのようにしてバイトに任せているが、子供の頃から駄菓子を買いに来ていた子が高校や大学に入ってバイトをしたいというのも少なくない。女の子は特に家が近くて帰りが楽というのがいいらしい。
 頷いた私へ彼女は、
「やっぱり、神主さんとかに顔が利いたりするんですか?」
と目を輝かせる。
「若いのに神主何かに何の用があるってんだい?」
と尋ねると、彼女は取り出したスマート・フォンで小さな手に乗った陶器の狐の写真を見せ、
「妹が、中学の園芸委員をやっているんですけど、学校の花壇の土の入れ替えをしていたら、こんなものが出てきたんです」
と、珍しく眉を八の字にする。
 学校の利用者の減る夏休み、彼女の妹さんの学校では花壇の花を秋から冬に向けたものに植え替えたり種を巻いたりするそうだ。自分も通った公立の中学校だが、何十年前の当時にもそんなことしていたのだろうか。花になどまるで興味のなかった当時の自分が知らずにいただけだろうか。
 それはさておき、その陶製の狐といえば、小さいながらも見事な出来で、泥を洗い流してみれば土の中にあったとは思えぬほど傷もなく艷やかで品がある。紐を通すような穴があり根付かとも思うが、中学生が鞄に付けるにしては勿体無い。何処かへぶつけて欠いてしまうのも可哀想だし、何より学校で拾ったものを自分のものにしてしまうのも不味かろう。そう思って園芸委員の顧問の先生に尋ねると、別に誰のものというでもなかろうから、好きに処分したら良いと、その処分を任されてしまった。
 ときに、新学期が明けると直ぐ、修学旅行で京都へ行く予定がある。狐といえば伏見稲荷は全国の狐の総本山のようなものだろう。持っていって事情を話せば悪いようにはしなかろう。妹はそうして家にその狐を持ち帰り、母に油揚げを小さく一切れもらっては机に供え、修学旅行まではここで我慢をしてくださいと手を合わせた。
 その夜というのが昨夜だそうだが、一匹の狐が夢枕に立った。陶器の艷やかな白とは似つかぬ稲穂のような毛を豊かに蓄えた狐が、四つの足を綺麗に揃えて座っていた。狐は上目遣いにこちらを見、
「後生だから、伏見へはよしてくれ。俺はまだまだ宮仕えなんて出来るほど偉くないんだ」
と訴えたのだそうだ。
 そういう訳でどこかこの近くに稲荷神社があれば紹介してほしいのだと言われ、事務所に設えた神棚を手で示す。
「うちでお世話になっているところなら、直ぐにでも紹介できるよ」
と言ってやると、彼女は早速嬉しそうに妹へ連絡を入れ、よろしくお願いしますと言ってポニー・テイルと呼ぶには少し太く束ねた後ろ髪を揺らした。
 そんな夢を見た。

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