第七百五十九夜

 

 仕事から帰って来ると、普段にも増して騒がしい息子とそれを羨ましげに目を輝かせる娘、そして普段になく憂鬱そうな妻とが出迎えてくれた。三人揃って出迎えてくれる絵面と言うだけでも十分に珍しいのに、こんな妻の様子は久しぶりに見る。

 部屋で荷物を下ろし、部屋着に着替えながら、
「入学式で何かヘマでもやらかしたのか?」
と尋ねてみる。今日は兄の方が中学の入学式で、妻が有給を取って出席していたのだ。が、言ってからそれでは妹の方の目が羨望に輝いていた理由が想像しづらい。

 そうではないと首を横に振った妻は、
「何だかね、あの子のクラスがちょっと不安で」
と、いつになく歯切れの悪い言葉が返ってくる。普段の彼女なら、ガラの悪い母親がいたとか落ち着きのない子がいたとか、付き合いたくないお母さんと同じクラスだったとか、そういうことをズケズケと言うのだが、何かそんなにまで口にするのが憚られるようなことがあったというのだろうか。
「うーん、言ったら馬鹿にされそうというか、何というか」
と相変わらず奥歯に物の挟まったような言い方をする妻を、息子を心配する母親を馬鹿にするものかとなだめると、
「入学式の最後にね、クラスの担任の先生と生徒で並んで、記念写真を撮ったのね。親は入らないで。その時のことなんだけど」
とようやく事情を語り始める。

 まず、新入生の各クラスの担任が音頭を取って、それまで皆の座っていたパイプ椅子のうち十数脚を壁を背に並べたそうだ。並べ終わると背の低い子はその椅子の列の前に膝立ちになり、中くらいの子は椅子に座り、その真ん中は担任、そして椅子と壁との間に背の高い子らが並んだ。一連の準備が整ったクラスから、出入りのカメラマンが機材を運んできて集合写真を撮影した。

 奇妙なことはそこで起きた。十二、三脚並んだパイプ椅子の右端から三番目に、誰も座らない椅子があったのだ。普通に考えれば詰めて座るものだろう。順に座って椅子が余るのならそれは左右のどちらかの端になるだろうし、余ったのなら片付けるだろう。ところが途中の空白の椅子に、カメラマンさえも文句を言わぬまま写真が撮られ、何事もなかったかのように式が終わったのだそうだ。息子に聞いても、今日風邪なりなんなりで休んだ子がいるからと言った説明が担任からあったわけでもなく、それどころか息子の方は、割合背が高くて椅子の後ろに立っていたにもかかわらず、空席がある事自体気が付かなかったのだという。
「何だか気味が悪くない?」
と眉を八の字にする妻こそ、私からすれば滅多に見られぬ珍しいものなのだが、その感想は胸のうちに秘めておくことにした。

 そんな夢を見た。

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