第七十五夜

 

旅先の山中に人気のない神社を見付け参拝を済ませると、奥の蔵の石段の陽溜まりに腹を出して眠る一匹の三毛猫がいるのに気が付いた。

リュック・サックからカメラを取り出してその前にしゃがみ込むと、彼女は薄目を開けてこちらを一瞥し、長い尻尾をピクリと揺らし、それから何事もなかったかのようにまた目を閉じて、午後の陽を浴びる仕事を再開する。

角度を変え、倍率を変え、様々な構図の写真を撮る。最後に離れたところからの絵を撮ろうとカメラを構えたまま後退りしたとき、背後から、
「ろくじゅうはち、珍しいでしょ」
と幼い声が掛けられる。てっきり無人だと思い込んでいたために少々驚きながら振り返ると、日に焼けた身体を作務衣に包んだ壮年の男性と目が合い、互いに会釈を交わす。彼の左手は小学校に上がったかどうかという年頃の、白いワンピースを着た少女の右手に繋がっている。
「六十八って?」
と尋ねると、
「その猫の名前ですよ。変わった名前でしょう」
と男が黒い肌と対照的に白い歯を見せて笑う。その横で少女は、
「三毛猫だよ、可愛いでしょ。珍しいんだから」
と自慢げにこちらを見る。可愛いねと相槌を打つと同時に、男が、
「いや、三毛猫が珍しいのはここらだけなんだよ」
と少女を諭す。

雄の三毛猫は珍しいと聞いたことがあるが、彼の口振りはそういう意味ではなさそうだ。三毛猫自体が珍しいのかと尋ねると、彼は頷いて、
「ここらは今でも米農家が多いんで、猫を放し飼いにしている家が多いんですが、三毛猫は産まれないんですよ」
と言う。その横で、
「ろくじゅうはちは特別なんだって」
と少女がもう一度胸を張って自慢し、倉庫の石段へトコトコと駆けていって六十八の白い腹を撫でる。その後姿を眺めながら男が教えてくれた。

なんでもこの辺りでは、三毛猫はこの神社に住む野良だけしかいないという。五年に一回、神社の三毛の子に一匹だけ三毛が生まれて、その子が大きくなると親の方は行方がわからなくなると言い伝えられているが、彼がその話を聞いてからもう五十余年、確かにその通りに三毛が産まれ、また周囲の村落には一切、三毛が産まれたという話を聞いたことがないそうだ。

ペット・ショップで買うことだって出来そうなものだがと茶々を入れると、ひょっとして早死にでもしては可哀想だから誰も敢えて三毛は飼わないのだという。

何か謂われがあるのかと尋ねると、
「私も子供の時分に、ここの神主様に尋ねたんだけども、さあ、それがさっぱりで。なにしろ、少なくとも三百四十年は昔の話だろうから……」
と、胡麻塩にまだらな顎髭を掻く。
「最初の三毛は、イチって名前だったようなんですよ。代替わりする度に数字を増やしていって、あの子が六十八代目だから六十八」。

そんな夢を見た。