第七百四十八夜

 

 関東平野の北部の街の大学で知り合った友人と山へサイクリングに出掛けた。後期の試験とレポートが片付いて多少暇ができたのだが、帰省は正月にしたばかりだし、かといって街に学生の財布に相応しい娯楽も多くはない。そこで昨年に登った近くの小山へもう一度、登ってみようという話になった。

 前回は夏の盛りに挑んで酷い目にあった。日差しが強く気温も高いのはわかりきったことだったが、湿度の高さに参ってしまった。四十キロメートルほど離れた山の麓へ市街地を走るのにもう体調を崩しかけていた。茂る木の葉の下を走るのは清々しかったがそれでも中腹の展望台で、帰路のために引き返すことを決意し、木陰で十分に休んで日の傾くのを待って下山した。

 今度は防寒を万全に、ただ自転車を漕げば暑くもなる、調節の利くようにと失敗から学んで準備を整えた。出発時刻も、明るいうちに戻れるようにと早朝にした。

 安全運転を心掛けながら二時間ほど走ると周囲に農地が増えてきた。そのあちらこちらに点々と雪の積まれて溶け残っている。山にも陽当りの悪いところなら雪が残っているのだろうか。

 そんなことを考えながら友人と二人、縦に並んで走っていると、向かいから軽トラックがやって来て、窓から出した手をこちらへ振って見せながらゆっくりと停車した。何か用でもあるのかとこちらも道の反対側へ停まると、日に焼けた黒い肌に白髪の眩しい男性が、こんな時間にどこへ行くのかと地元の訛で尋ねる。何もやましいことをするわけではないから正直に「山へサイクリングを」と答えると、彼は朝日へ眩しそうに目を細めながら喋りだす。

 何もない山へ物好きなものだ。廃墟でもあれば肝試しに来る者もあるだろうに、そんなものさえない山だ。ただ、頂上には神様の祠がある。なんの神様なのかはもう誰も知らないが、坂上田村麻呂より昔からあるちょっとした石というか岩というか、そういう微妙なサイズだからさして有名にもならない。

 夏に来たときは展望台で引き返したから知らなかった、今日は是非頂上まで行ってそれを見たいと二人が言うと、彼は、
「それなら麓に小さなコンビニエンス・ストアがあるから、そこでワン・カップの清酒を買って荷物に入れておくといい。酒に目がない神様らしいし、来る人もいないようなもんだから、きっと飲みたがって招いてくれるぞ」
と実に愉快そうに笑い、気を付けて登れと言ってアクセルを踏んで集落の方へと去っていった。

 そんな夢を見た。

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