第六百六十九夜

 

午前中に一仕事を終えると、取引先の偉い人に昼食をご馳走するといって近所の鰻屋に案内された。率いられるがままに席に就き、出されたおしぼりで手を拭きながら、彼の注文が終わるのを待つ。

注文を終えた彼がおしぼりで手を、次いで額の汗を拭くと、額を覆っていた白髪交じりの前髪が一瞬だけ押し退けられ、左眉の上に長さ五センチメートルほどの傷跡が覗いた。

その視線に気付いたか、
「ああ、醜いものをお見せしてしまって」
と苦笑いする彼にこちらも無作法を詫びる。彼はしかし大して気にしてもいないようで、熱い茶の入った湯呑を手に取ると、
「鰻を待つ間、この傷の話でもしましょうか。余り面白くもないかもしれませんが」
と提案し、お茶で喉を湿らせてから話し始める。

彼が小学生の低学年の頃、庭の草むしりだとか皿洗いだとか、親の手伝いをすると幾らというような形で小遣いを貰っていたそうだ。そうしてこつこつ小遣いを貯めて、一度にパッと使うのが好きだったと言う。

そんな風に小遣いを貯め、さあ今日は豪遊だというある日の放課後、近所の駄菓子屋で玩具の飛行機を買った。どこで飛ばそうかと相談し、山では木が邪魔になる、野原では下草で飛んでいった飛行機を探すのに手間が掛かる、それじゃあといつもの神社へ駆けてい行った。

神社に着くと早速簡単な包装から飛行機の部品を取り出して組み立てる。といってもほんの何十円かの飛行機だから、発泡スチロールか何かの板が二枚とプロペラが一つ、プロペラに接続する輪ゴムとちょっとした部品くらいしかない単純なものだ。二枚の板の片方は胴体、もう片方は翼、胴体の先端にプロペラを付け、胴体の後ろの方へ輪ゴムを固定する。プロペラを回すと輪ゴムが捻じれる。プロペラから手を離して飛行機を放てば、捻った分だけプロペラが回って飛行機が飛ぶ仕組みだ。

いざ完成して遠慮勝ちにゴムを捻って飛ばしてみるとプロペラは案外ゆったりと回り、それでも十分によく飛んで皆が大喜びする。自分でも飛ばしてみたいと興奮して頼む友人達に、輪ゴムが切れたら終わりだから緩く巻くようにと注意をして飛ばさせた。そのうち誰が飛ばしたときだったか、飛行機が賽銭箱を超えて拝殿の内側まで入り込んでしまった。

彼は慌ててそれを取りに拝殿の階段を上がり、賽銭箱を避けて拝殿の中に入ろうとしたところで、石畳にしたたか頭を打った。何が起きたのかがわかったのは、これまでにも増して興奮した友人達のてんでバラバラに喋る内容でどうにかわかった。本殿に入るか入らないかというところで突然、身体がふわりと浮いて、そのまま真っ逆さまに参道の石畳に頭を打って転がったのだ。まるで見えない大男に首根っこでも引っつかまれたかのようだった。お前が靴も脱がずに上がろうとするから叱られたのだ。手水桶の水で額の傷を洗いながらそんな話になり、
「手元に残っていた五円玉を賽銭箱に入れ、手を合わせて謝ったんだけど、五円じゃ少なかったかなぁ、痕はずっと消えないんだよね」
と笑う彼の元に、ちょうど漆塗りのお重が運ばれてきた。

そんな夢を見た。

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