第六百四十二夜

 

トレイに載せたグラス二つを窓際の少女達へ運ぶと、
「ね、遂に私も変な体験しちゃった!」
と聞こえてきた。

私のバイト先であるこの店は大手チェーンに比べて値段が安く、彼女達のような学生服姿の客も少なくない。雇われ店長曰く、ビルのオーナが趣味と税金対策で経営しているそうで、商品は安く時給は高い。
ティラミスの珈琲ゼリーをスプーンで掬いながら、
「えー。どうせまた胡散臭いのでしょ?」
とベリーショートの少女が眉根を寄せる。
「いやいや、これはもうね、うちのクラスの皆が生き証人だから」。
ポニーテイルの少女はベイクド・チーズケーキの小片を突き刺したままのフォーク、透明なビニルシートの向こうに坐るベリーショートの少女へ突き出しながら鼻息荒く宣言する。
「いやもう、却って胡散臭いんだけど」
「いやいや、今日、正に体験したてのほやほやなの」。

二人共この店の常連で、制服からして店の近くの女子校に通う高校生らしい。週に一度、金曜日の夕方にやってきては、部活で使い果たしたエネルギーを甘味で補給してゆく。たまに見かけない週は定期試験の期間なのだと店長が教えてくれた。店長がそういう趣味なのではない。彼女らはある意味でこの店の名物客で、店長からもバイト仲間からも一目置かれ、休憩中や閉店後の片付けのときなど、しばしば話題になるのである。
「今日の三限のテスト中、変な音って聞こえなかった?」
ポニーテイルの少女の問い掛けに、ベリーショートの少女は、
「いや、別に?」
と首を撚ってから、砕かれたクッキーとクリームの層を一匙掬って頬張る。ポニーテイルの少女は一口の珈琲で喉を潤してから、
「私もね、何にも聞こえなかったんだけど」
と、事の顛末を語り始める。

学年末試験の初日の今日、三時限目が終わって今日は残すところホームルームのみになった。皆が友人達とあの問題が出来たの出来ないのと話を始める中、急いで便所へ行って渋滞に捉まり、戻ってくると直ぐに担任が入ってきて四時限目開始のチャイムが鳴る。

号令と共に挨拶をして着席するなり、
「先生、さっきのお経みたいなの、何だったんですか?」
と、一人の女生徒が声を上げる。はて何のことかと思う間もなく、
「そうそう、アレのせいで気が散って、全然集中できなかった」
「うちのクラスだけなら不公平だよね」
と、男女問わず数名が同調する。

担任が何のことか分からぬと言うと級長が手を挙げ、三時限目の終わった休み時間から、試験中に読経のような低い声がずっと聞こえていたと主張する生徒が居たが、少なくとも自分には何も聞こえなかったと説明する。

それを受けて担任が、席の位置の都合か何かだろうかと、
「それらしい声の聞こえたものは挙手を」
と提案すると、特に廊下側と窓側、前方と後方といった偏りもなく、ばらばらと十人程が手を挙げたと言う。
「でも、自分では聞こえなかったんでしょう?」
ティラミスを平らげて眉を顰めるベリーショートの少女に、ポニーテイルの少女は珈琲を一口飲み、
「でもでも、正に自分の目の前で不思議なことが起きたと主張する人を目撃したっていうのは凄いことでしょ?」
と、チーズケーキの最後の小片にフォークを突き立てた。

そんな夢を見た。