第五百九十九夜

 

祝日前の就業後、趣味の写真を撮りに遠出するべく某線に乗った。向かい合わせに置かれた座席の所々に乗客があり、新聞を読む者、タブレットで野球の中継を見る者、味の濃そうな弁当でビールを飲む者など、日常を送る姿と列車の旅を楽しむ姿が五分五分のようだ。

私はというと既に弁当を片付け、残り一時間ほどをスルメでも噛みながら窓外に流れる夜景でも眺めて過ごすつもりだ。艷やかな夜の黒を眺めていると、モニタの画面を凝視して過ごす日々に凝った眼球周辺の筋肉群の緊張がほぐれていく気がする。

途中駅に着くとちらほらと乗降客があり、空の席をとり損ねたご年配の男性が斜向いの席を手で示し、
「こちら、よろしいかな?」
と身を屈めて尋ねるので、愛想笑いを浮かべて頷く。

互いに旅の行く先やら目的やら、当たり障りのない情報を交換する。私の目的が写真の撮影だと知ると、
「それなら、そこら辺りが電車の限界になりますな」
「そうですね、終点まで撮影が終わったなら、その先は夜行バスで行けるところを探すつもりです」
「なるほど、今はそういうものがありました。昔なら寝台車がありましたが……」
と、夜行列車の話題になる。寝台車といえば、実は全く利用したことがないのに寂寥とした旅情を思い浮かべてしまうのは何故だろう。昔の演歌のせいだろうと指摘され、そうかも知れぬと相槌を打つ。
高級なものには乗ったことがないからわかないが若い頃に乗ったものはお世辞にも乗り心地が好いとは言えず、体力の衰えた今ではとても眠れないだろう。そんな風に、老人の昔話が始まった。

その日は年末の仕事納めの日で、賞与の入った封筒を懐に実家へ半年ぶりの帰省をするために夜汽車に揺られていた。今よりずっと治安の悪い頃のこと、懐の中身が気になって眠る気にもならず、気つけ薬代わりにちびちびとワンカップの酒を舐めながら窓外の冬の夜景色を眺めていた。上下二段の寝台が向かい合わせになった区画の上段の客は既に静かになって、下段の向かいはずっと無人のままだ。

ふと気が付くと列車が速度を落とし、何処かの駅に停車した。上の段の客が付けっぱなしにしていたラジオが、曲の電波の入らない地域に出てしまったのだろう、ノイズを立てているのが聞こえる。暫くすると発車を知らせるベルがプラット・フォームに響いて汽車が動き出し、続いてカーテンが引かれる音がする。

はっと振り向くとこの駅からの客らしい、なめし革の張られた旅行鞄を手にした男が、もう片方の手に持った乗車券と寝台の端の番号とを確認している。こんばんはと挨拶を交わし、荷物の整理のために寝台の電灯を付けてやると、その明かりに照らされたのはなんと郷里の幼馴染だった。上の段の客を起こさぬよう小声で偶然の再会を喜び合い、世間話と思い出話を肴に軽く酒を飲み、上の客に起こされて気が付くと既に翌朝の終点だった。

いつの間にか寝ていたことにも驚いたが、向かいの席に友人の姿が無いことに二度吃驚した。彼も里帰りならこの先だって同じ汽車で帰るだろうに。不思議に思いながら帰省して道中久し振りに合った幼馴染の話を家族にすると、彼は肺の病が重くなってひと月ほど前に亡くなっていたという。
「当時、年末の寝台車は結構人気でね、幽霊の癖に席をとっておくなんて、死んでも律儀な奴らしいと思ったものでした」
と、彼は微笑んで窓外に目をやった。

そんな夢を見た。