第五百九十五夜
古美術品を買い取ってほしいとの依頼を受けて、高速道路で県を三つか四つ跨いで山中の別荘地へとやってきた。
元は私の店のある地方都市にお住まいの裕福なご夫妻で、昔から懇意にさせていただいていた。子供達も独り立ちをしていたところへ旦那様が亡くなったのをきっかけに、奥様が都市部の家を引き払って元々お持ちだった別荘で、ひとり静かに暮らすことになさったのだ。
お宅へ到着するとまず一休みしてはどうかとお茶を淹れて下さって、ありがたくそれを頂戴しながら一頻り世間話をする。疫病騒ぎもあって人の足が離れ、お喋りをするのも久し振りだそうだ。
話に一区切り付いていざ仕事に取り掛かることになると、別荘の地階に案内される。亡くなった旦那様の趣味が焼き物やガラス細工の類の美術品で、部屋に飾りきれぬほど地階の倉庫に蓄えられているのだが、奥様も子供達にもその趣味は受け継がれなかったそうだ。
階段を下りて倉庫の扉を押し開ける。と、仄かに心地よい香りがする。日常的によく嗅ぐ何かの花の香りだが、その名前を直ぐには思い出せない。この手の倉庫というと少なからず黴か木材かの匂いがするものでなかなかに珍しい。何か防虫剤や芳香剤を使っているのかと尋ねてみると、倉庫の管理は旦那様の管轄で詳しいことはわからない、ただ昔からこの倉庫に入るとほんのりとラベンダの香りがするのだと、奥様は小首を傾げながら説明してくださる。
倉庫の中に収められたコレクションは結構な数があるようで、今日は価値の有りそうなものの写真を撮ってリストを作るところまでを仕事とし、リストからお譲りいただけるものを選んで後日改めて連絡を頂くことにして、独り倉庫の物色を始める。
棚の端から順に品定めを始めて一時間ほど経って、随分と平べったいものに辿り着く。布に包まれたそれは、恐らく油絵か何かだろう。手にとって慎重に布に手を掛けると、途端に仄かな刺激を伴った甘い香りが鼻を突く。ラベンダの香りだ。ゆっくりと布を剥いでみると、それは白いワンピース姿の人物が小さく描かれた一面のラベンダ畑の風景画だった。
そんな夢を見た。
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