第五百九十夜

 

自然に囲まれた山の中の祖父母の家での生活も、夏休みが終わりに近づく頃には流石に少々飽きが来ていた。

蝉の声を聞きながら、居間の炬燵卓で本を読む。盆休みに顔を出した父を祖父の車で街の駅まで送ったついでに、大きな本屋で祖父が暇潰しにと買ってくれた本だ。

暫く熱中していると、祖母が冷えた麦茶を持ってきて、二言三言言葉を交わすとまた忙しそうに何処かへ姿を消す。ちょっと目が疲れたかと本を伏せて麦茶を飲み、改めて居間を見渡す。小芥子やら木彫りの熊やらが飾られた古い茶箪笥の脇、決まって祖父の座る上座の右手に籐で編んだ雑誌入れがあり、雑誌やら新聞やらが突っ込まれている。

すると何故か妙にその新聞が気になって、麦茶のグラスを卓に置き、四つん這いになってその新聞を覗き込む。日付は二ヶ月ほど前、六月の終わり頃のものだ。他に古い日付のものは見当たらない。何かこれだけを手元に置いておく理由があるのだろうか。

興味を引かれながら、何か敢えて首を突っ込むべきではないような後ろめたさも同時に湧いて、新聞に手を伸ばすか否か逡巡していると、用事の済んだ祖父が縁側から上がってきて、何か気になるものでも在ったかと問う。

その声の陽気な調子に背中を押され、台所へ麦茶を取りに歩きながら、何故古い新聞を捨てずにいるのか尋ねてみる。

洗面所で洗った顔を手拭いで拭きながら戻ってきた祖父は炬燵卓の定位置に胡座をかいて座り、私から受け取ったグラスを一口に飲み干すと、傍らの雑誌立てから件の新聞を掴んで、
「これか?」
と問う。頷く私に向かって開き癖の付いた頁を見せると、そこには大きく「猟銃で殺害後に自殺か」との文字が踊っている。

祖父曰く、二人共地元の猟友会の会員で、祖父の顔見知りらしい。記事には一人がもう一人を猟銃で射殺した後、自らも同じ銃で自殺したとある。事故か殺人かは調査中だが、怨恨での殺人であればその後の自殺は考えにくく、山中で誤って人を撃ち、パニックか自責の念かによって自殺したものと警察は見ているという。記事を読み上げた私に、
「どっちも外れだ」
と言う祖父の声には、何処か棘が感じられる。
「そいつらはどっちも禁猟期間を守らんので有名な連中でな、里に下りてこないように脅すだけだと言っては年中鉄砲担いで山に入りよった。大方、狐の子供か、妊娠中の母狐でも狩り殺して祟られよったんだわ」
と忌々しげに言う祖父に、思わずそんなことがあるものかと声を上げてしまう。
「あるさ。現にこの事件の暫く前、畑に停めた車の中で昼寝をしとったらな、妙な寒気がして目が覚めた。そうしたらもうびっくりよ、サイドミラーに座った狐がじっとこっちを睨んでて、暫くしたら顔を背けて林の中に消えて行きおった。仲間の仇を探しとったんだろうさ」。

そう言って、額の汗を手拭いに吸わせ、殻になったグラスを手に立ち上がると、
「まぁなんにせよ、無益な殺生はいかんってこったな」
と頭をかきながら祖父は台所へ消えていった。

そんな夢を見た。

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