第五十九夜

ある山奥の神社へ用があり、朝から汽車を乗り継いで最寄りの駅に付いたときには午後一時を回っていた。バスの来るまでの暇を、待合小屋の日陰で居合わせた地元の老人達と世間話をして過ごす。ようやく着いたバスから家族連れが降りた後、ようやくバスに乗り込んで人心地着く。

扇子を広げて汗を扇ぎながら、窓外の雑木林を眺める。夏本番を迎えようとする山の木々は少しでも光を浴びようと山からも谷からも競って山道の上へ枝葉を伸ばし、さながら隧道のように陽を遮って、風の通る車内は思いの外涼しい。

一つバス停に着くと、待合室で言葉を交わした一人が席を立って、互いに軽く会釈を交わす。二つ、三つと同じことを繰り返すうち、客は私一人になったようだ。もの珍しかった木々の緑も目に優しく単調で、窓枠に肘をついて顎を支えながら、瞼が重くなる。

「あの、落ちました」と涼しい声とともに左肩を叩かれて目が覚める。振り向けば、こちらに扇子を差し出すセーラー服姿の少女が、左手で座席の手摺りに捕まって揺れをこらえている。私の手から落ちたものをわざわざ拾ってくれたらしい。
「ありがとう」
と白い指に挟まれたそれを受け取ると、少女は「観光か」と問いながら、通路を挟んだ席に腰を下ろす。通い慣れた通学路に見慣れぬ客がいるのを不思議に思ったのだろう。特に隠す理由もないので、正直に上の神社へと答えると、小首を傾げ、細い眉の根を寄せて、
「キャラメルって、持ってますか?」
と妙なことを尋ねる。

キャラメルがどうしたというのか、意図の分からぬのが顔に出ていたのだろう、少女ははにかんで一度謝罪し、説明を始める。

この山には昔から、人を化かす狐の話が伝えられているという。彼女の祖母は北海道から嫁に来たそうだが、その祖母から、人に化けた狐には干したイクラをやるとよい、歯にくっ付いたのを取ろうと躍起になっているうちに術への集中が切れて正体を現すのだと教わったそうだ。といって、干したイクラなど何処で手に入るのかもわからない。それで彼女は、
「いつもキャラメルを持ち歩いているんです」
ということだ。

甘い物は好きでないから、持ち歩く癖は無いと答えると、彼女は革の学生鞄から小さな箱を取り出して、
「よかったら、どうぞ」
と、半透明の蝋紙で包装された二粒のキャラメルを差し出すので有難く頂戴する。ただではいけないからと、断る少女に無理に幾らか小銭を押し付ける。

間もなくバスが目的の停留所へ付いたので、慌ててキャラメルをズボンのポケットへ仕舞いながら立ち上がり、重ねて扇子とキャラメルの礼を言ってバスを降りる。

バスの去るのを見送ってから鳥居を潜ると、神職が出迎えてくれ、社務所の中でまずは冷えた麦茶でもと案内してくれる。

靴を脱ぎ、廊下を歩きながら尋ねる。
「この辺りには、化け狐が?」
「ええ、そういう話もありますね。地元の方にお聞きに?」
「下校中らしい女学生がバスに乗り合わせましてね。おマジナイにとキャラメルをもらいましたよ」

そういう私に汗を掻いたグラスを差し出しながら、神職は天井を見上げる。
「はて、このあたりにそんな年頃の娘さんが……?」

訝しむ神職に見せようと、ポケットに手を突っ込み、
「ええ、これがその……」
と、私が差し出したのは、二つのシイのドングリだった。

そんな夢を見た。

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