第五百二十六夜

 

数年ぶりに母の実家へ帰省して、とはいえ雪遊びに興じるような歳でもなくなり、祖母のお節料理作りの手伝いの他はほとんどだらだらと過ごす内に年が明けてしまっていた。

寒波が入って大雪になった夜、夕食を終えて風呂に入ると直ぐに皆寝床へ入ってしまい、すっかり静かになった居間の炬燵に冬休みの宿題を広げてその始末に取り掛かる。

お茶とミカンをお供に、詰まった問題はメッセージ・アプリで級友に教えを請いながら少しづつ課題を消化していると、遠くの方からカァン、キィンと乾いた金属音のような音が聞こえてくる。暫く聴くうち、火の用心の見回りで打ち鳴らす拍子木に似ているかと思われて、こんな大雪の降る夜に火事など起こるものだろうか、それよりも足元も視界も悪い中を歩き回るほうが余程危なくはなかろうかと、何だか心配になってきた。

そのまま一問、二問と解き進むうちに三十分ほどが過ぎた。高校の数学とは何故こんなにも時間が掛かるのだろう。その間ずっと聞こえていた拍子木らしき音はこの家の直ぐ側まで近付いて大きくはっきりと聞こえるようになっていたが、予想していたような「火の用心」の声は一向に聞こえてこない。いくら雪が音を吸うといっても、拍子木の音ばかりが聞こえるはずはない。あまり寒くて声を出すのを止めているのだろうか。ちょっと様子を見てみたくなり、玄関脇の客間に大きな窓のあったのを思い出して炬燵から脚を引き抜くと、突然直ぐ側の便所の水がザッと音を立て、続いて、
「おお、遅くまで勉強か。えらいなぁ」
の言葉と共に居間の襖がそっと引き開けられた。

丁度立ち上がりかけていた私を見た祖父は、私が便所に立とうとしたのだと思ったのだろう、半身を引いて道を譲るような素振りを見せる。立ち上がりつつ、
「ね、あの音って火の用心か何かなの?こんな雪の中、変じゃない?」
と尋ねると、
「ああアレか」
と細い目を大きく開いた後、
「わからん」
と言って笑いながら居間に入ってきて、彼の指定席に腰を下ろす。
「ワシが子供の頃にも、たまに聞こえてきたもんだったんだが、そういえば最近は少なくなったかもしれんな」。
そう言いながら私にも炬燵へ入るように促すと、電気ポットの湯でお茶を淹れながら、
「ほれ、おかしいだろ」
と自分の背にした壁を指さす。

この家は、海の直ぐ側まで小さな山の迫る港町の高台にある。祖父の背にする壁の向こうは裏山の沢になっていて、それより上には暫く人家など無く、普段歩く者もない。

ところが件の拍子木の音は、その壁の向こうから聞こえてきて、沢を登るように遠ざかってゆく。
「音がする以外に何があるでもないから気にしなくていい。触らぬ神に祟りなしってな」
と言うと、彼は目を細くして湯気の立つお茶を啜った。

そんな夢を見た。