第五百十七夜

 

年の瀬も迫ったある金曜の夜、兄から一人暮らしの家を訪ねてくれと連絡が来た。残念ながらこちらにも特に用事がなかったために了承の返事をすると、近くの量販店でライム、ジンと炭酸水、適当なツマミを買ってきてくれとの注文が追加される。

普段は殆ど酒を飲まぬ兄が馬鹿の一つ覚えで飲むのがカクテルのジン・ライムで、私を呼び出して飲むのは定まって彼女に振られた週末だ。このところ疫病騒ぎのために断っていたが、この二年でもう五度目にもなるだろうか。

ご注文の品を一通り揃えた買い物袋を提げて兄のアパートを訪ねると、暗い表情の兄が出迎えてくれ、レシートと引き換えに現金を押し付けられる。ただ、暗いといってもいつものように振られて落ち込んでいる悲壮感の漂うそれではなく、何か深刻な悩みごとでも抱えているかのような印象だ。お釣りを出そうとすると遠慮するので、自分用に買ってきた夕飯及び晩酌代がまるごと浮いてしまい、多少の罪悪感を覚える。

早速飲み始める兄へライムを洗って切ってやり、ツマミ兼私の夕食の惣菜を炒め直し、ソーセージを茹でる。

自分の夕飯の準備を万端に整えて、兄の独り飲む卓袱台の脇へ座り、頂きますと挨拶をして食事に取り掛かる。が、いつもなら「聞いてくれよ」と煩い兄が、雑にカクテルを作りながら黙々とグラスを舐め続ける。

父に似た妹の私から見て、母に似た兄はそれなりに見た目がいい。だからこそ振られても直ぐに次の彼女が出来るのだろう。それはわかる。だが、
「長続きしないよね、ホント。なんでだろう」。

ほんの一雫のジンとライムの果汁を垂らしたほぼコーラの飲み物を片手に、思わず本音が漏れる。しまったと思う間もなく、兄が真面目な顔でこちらを向き直り、
「その原因が、わかった」
と重々しく言葉を区切って宣言する。

兄が一人暮らしを始めるまでの十数年を妹として過ごした限り、多少頼りないところはあるものの、粗暴であるとかの性格的な致命的欠陥があるようには思われない。勿論、恋人として気を許した相手には特別な姿を見せるということもあるのかもしれないが……。

ともかく、原因がわかったというならそれには少々興味がある。少なくとも酔っ払いの未練を延々と聞かされるよりは随分ましだろう。
「俺には、「目」が、憑いてるらしい」
「は?」。

兄の理解不能な言葉に、思わず間の抜けた声が出る。見ればわかるではないか。兄の顔には確かに目が二つ付いている。だが、そういうことではないらしい。相変わらず真面目な調子の声で兄が言うには、こういうことだそうだ。

兄が女性と付き合い始めると、その相手が「目」を見る。相手が兄の部屋に泊まりに来た際は勿論、相手が一人でいる際にも、風呂場やトイレで独りになると、或いは兄が眠り込んでいるベッドの隣でも、窓越し或いは扉の隙間などから、恨めしげにじっとこちらを見つめる「目」が現れる。別れたばかりの彼女に初めてそう言われたのだが、連絡の取れる歴代の彼女に尋ねてみると皆「実は……」と、同じようなものを見たと口を揃えたのだという。
「だからさ、お前も今晩風呂に入るときに、何処かから目が覗いてないか、気をつけてみてみてくれよ」
と大真面目に言う兄に、
「いや、いくら女だからって彼女じゃないし」
と返しつつ、せっかくのほろ酔い気分がすっかり冷めたのを感じるのだった。

そんな夢を見た。

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