第五百十夜

 

風呂上がり、バスタブの中で体を拭き、絞った髪をタオルで巻き上げて部屋着を着て洗面台を見ると、蛇口の横の眼鏡立てに眼鏡がない。

自宅で過ごす際には風呂と睡眠以外で眼鏡を外す習慣がない。だからわざわざユニットバスの洗面台に眼鏡立てを置いているのだが、そこに眼鏡がない。

まぁ、こういうことは稀にならある。何かのイレギュラで眼鏡を外し、何処かに置いてそのまましばらく過ごして風呂に入ったのだろう。

換気扇を回して風呂場を出る。正面の台所に眼鏡は見当たらない。玄関を見れば靴箱の上の眼鏡立てに眼鏡が立っている。立ってはいるのだが、念の為に確かめてみると予想通り、それは余所行き、つまり外出用の眼鏡であって、部屋用の安く軽いもの、風呂に入るまで掛けていたはずのものではない。

居間へ戻っても、鏡台にも机を兼ねた鏡台にもソファ・ベッドの枕元にもない。さもありなん。眼鏡に限らずイレギュラな事態に遭遇して緊急に何かを何処かへ一時的に置いておこうとするとき、間違いのないようにとか目立つように、或いは目立つようにと配慮して普段では決して置くことのなかろうところへ納める習性が人間にはある。そして、それが自分の習慣からかけ離れたものであるために、後になってみると一体何処へ仕舞い込んだものか、さっぱり思い出せなくなるのである。

そんなこんなと考えながら、外へ着て行った上着のポケット、鞄の中、洗濯機へ放り込んだ衣類、タンスと探してまわり、遂に冷蔵庫の中、ポン酢の瓶に立て掛けられた眼鏡を発見して自分でも呆れてしまう。

ともあれ見つかったので一安心、よく冷えた眼鏡を掛け、髪を乾かそうと風呂場の洗面台へ向かう。脇の棚からドライヤを取り出し、プラグを洗面台のコンセントに差し込もうとして、眼鏡立てに眼鏡があるのに気が付く。

人間の先入観というのは恐ろしいもので、一度「無い」と思い込んでしまうと、映像としては目に入っていても認識ができなくなるということはしばしば起きる。視覚的なものは実感し難いかもしれないが、知人の家を訪ねた際に気になる音や匂いが僅かな時間で全く気にならなくなるようなことは、きっと誰でも経験しているだろう。

この眼鏡も「いつもの眼鏡立てに無い」と何かの拍子に思い込んだために見つからなかったのだろう。

ともあれ見つかって何よりである。摘んだ弦を軽く振って弦を開き、耳に掛けようとすると、既に掛けてあった眼鏡と接触してカチリと音が鳴った。

そんな夢を見た。

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