第五十一夜
雨が降らぬからいつまでも蒸し暑く、寝苦しい夜が続く。おまけに空調が故障し、時期が時期だけに工事の手配に時間がかかるというので、もう何日も苛苛と睡眠不足の夜を過ごしている。
高い不快指数に苛だったような、それでいて寝呆けたような頭の中で、いつか読んだ科学雑誌の記事を思い出す。
ヒート・アイランド現象というらしい。アスファルトで覆われた地面にコンクリート製の大きな建物が立ち並び、冷房の室外機から温風を出すのが当たり前の地域では、昼に太陽から受け取った熱がいつまでも大気を温め続けるために、夕立の降る時刻が夕方から段々とずれ込み、今では深夜に雷の鳴ることも珍しくない。風の様子次第では全く降らぬまま、水蒸気が他所へ運ばれてしまうそうだ。
体温の蓄えられた布団から逃げ出すように寝返りを打つと、目の前に赤銅色の肌をした、筋骨隆々たる青年が二人、黒いブーメラン・パンツを穿いただけの姿で、筋肉を誇示するようなポーズを取り、底抜けに明るい笑みで白い歯を剥き出しながら立っている。一人は黒い直毛、もうひとりは金の縮れ毛を、揃ってポマードで固めオールバックにしている。
――ああ、寝不足でついにこんな幻覚を……。
暑苦しさからの連想で、こんな夢か幻かを見ているのに相違あるまい。そう思って再び寝返りを打とうとすると、
「いえいえご主人、我らは決して幻覚などではありませぬ。我らはご主人が朝昼晩と欠かさずに召し上がる、珈琲の精でございます。日頃のご愛飲に報いようと、お困りのご主人の元へ化けて出たのでございます」
と、舞台役者のように腹の底から出るよく張った大きな声で黒髪が言い、金髪がニコニコしながら幾度も頷く。
――徒然草だったかな。
昔話に、大根にご利益があると信じて朝晩食する者が空き巣に遭った際、留守の家を大根の精が化けて出て守ったという話があった。それが頭の片隅に有って、こんな幻覚を見ているのに違いない。そんなことを思っていると、黒髪がこちらにグイと笑顔を寄せ、
「いえいえご主人様、我らは本当に珈琲の精でございます。お困りのことがあれば何でもお申し付け下され」
と言う。こちらも頭が呆けているのでつい、それなら冷房を直してくれと言うが、
「残念ながら我らは機械の類にはめっぽう弱いのでございます。代わりに……」
とヤシか何かの大きな葉を取り出して布団の両脇に座り、ゆったりと扇ぎ始める。エジプトのビールにでもなったような気分だ。
汗で黒光りする筋肉の印象のせいか、それともそれが発する蒸気と熱の所為か、二人が現れて却って室温も湿度も上がったとしか思えない。御恩はまた別の機会に返してくれればいいから今日のところは静かに寝かせてほしいと請うと、二人は明らかに眉を下げて意気消沈した様子で、
「ご主人のお困りの際にお役に立てず、全く面目ございません。またいつか、必ずお役に立ってみせますので、これからもどうか珈琲をご贔屓に……」
と言いながら、霧の晴れるようにすぅっとその暑苦しい巨体が消え、後にはただひたすら蒸し暑い夜の部屋と、いっそのこと珈琲を辞めてしまおうかというゲンナリした気分だけが残った。
そんな夢を見た。
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