第五百五夜

 

隣の盆地へ呼ばれた仕事の帰り、黄昏時の山中を車で走っていると霧が出た。この辺りではよくあることとフォグ・ランプを付け速度を落として走っていると、見る間に霧が濃くなる。ボンネットの半ばから先すら見えず、その向こうにヘッド・ライトがぼんやりと照らす霧の塊に辛うじて遠近感を感じられるのみとなった。
これではとても運転など出来たものではない。側溝に踏み込まぬよう祈りながら、僅かに切りを突き抜けて見える木の枝を頼りに山側へ車を寄せて停め、サイド・ブレーキを引いてハザード・ランプを炊く。
それでも他の車からどの程度見えるものかを確かめたくて車を降りようとドアを開けると、冷たく湿った風が顔を撫でる。
一歩、地に足を下ろすと、湿った砂の上で砂利を踏むような音が鳴って違和感を覚える。山道とはいえ綺麗にアスファルトで舗装された県道で、多少の落ち葉や砂はあっても砂利道などでは決してない。
が、降り立ったそこには確かに玉砂利が敷かれているのが霧越しに見て取れる。どこかで霧に迷って脇道の私道にでも入っただろうか。いや、霧が出てから一分も走っていない。速度も極端に落としたから、走行距離は精々数百メートルだろう。その間左手の茂みを頼りに走って、大きく道を外れた覚えもない。
訝しみながら砂利を踏み、霧を橙色に照らすハザード・ランプから少しずつ後退っていると、すっと霧が引き、右手に大きな鳥居が見えた。どうやらここはどこか神社の境内らしい。車が参道の石畳の脇の砂利の敷かれた広場の端、生け垣の椿の傍らに停まっているのが見えるようになった。
混乱しつつも灯りの点いた建物を尋ねると神主の方のご自宅らしく、
「うちの神様がお招きになったのでしょう」
と客間に通され、奥様が温かいお茶を出して迎えてくれた。
曰く、こちらは近隣の水瓶として掘られた池の水神様を祀る神社で、水神の例に漏れず酒の好きな蛇神様なのだが、時折こうして人を招くことがあるのだという。
「下戸の私に、何か気に入られるようなところがあるとも思えませんが」
と頭を掻くと、神主は顎を摘んで斜め上を一瞥し、
「お車に、何かお酒をお持ちでは?」
と言う。確かに今日の仕事先が造り酒屋で、帰り際にお土産を貰っていた。トランクから取り出して見せると、どうやら結構上等な代物らしい。
どうせ下戸だからというのも失礼だけれど、せっかくだから是非お供えしたいと申し出ると、神主も申し訳無さそうに、
「きっとご利益のあるようにお願い申し上げさせていただきます」
と笑った。
そんな夢を見た。