第四百九十六夜

 

取引先から帰社する電車の中、
「何か旨いものでも食おうか」
と上司が言い、最寄り駅の駅前の飲食店が臨時で出している弁当で、結構値の張るものを奢って貰った。

近くのコンビニエンス・ストアでお茶を買い足し、小さな公園のベンチにソーシャル・ディスタンスを保ちつつ並んで腰を下ろす。

昼飯時を少し過ぎたオフィス街の公園は人影も疎らで風も涼しく爽やかだ。自前の買い物袋から上司の分のお茶のペットボトルを取り出して身を捻って手渡すと、ベンチと植え込みの隙間に小綺麗な革の小物が落ちているのに気が付いた。

座ったまま捻るように身を屈めて拾い上げるとそれは二つ折りの名刺入れで、一方にはばらばらの、もう一方には十数枚同じ名刺が収められていた。取引先の相手に「名刺を失くしてしまいまして」というのはなかなか気不味い。なかなか会う機会のない相手であれば大きな損失だろう。
「昨日は雨が降りましたよね。綺麗だから、今朝か昼休みか、まだ落としたばかりでしょうし、警察に届けるくらいなら、電話して渡してあげたほうが早いですかね」
と相談するでもなく言ってみると、上司は顔の前でハエでも追うように手を降って、止めておけと繰り返す。

部内でも他の部署からも馬鹿の付くお人好しで知られる彼の思わぬ反応に目を丸くしていると、受け取ったペットボトルのお茶を一口飲んでから、
「それな、よくある手らしいんだ」
と呟いて、割り箸を割ってささくれた部分を擦り合わせながら、
「そうやって、名刺やらキャッシュ・カードやらをわざと落としてな、お礼をしたいからって言って会おうとする。会って酒の一つでも奢られたら終わり。人が好さそうならそこに付け込んで泣き落としだったり、気が弱そうなら奢った恩を返せと脅したり、詐欺師連中がカモを探す常套手段よ」
と、苦虫を噛み潰したような顔で言う。
呆気に取られる私に気付いた彼は、
「ほれ、ちゃんと手を拭いて、旨いもん食って戻ろう」
といつもの人の好さそうな顔で促して、大きな海老の天麩羅を齧るのだった。

そんな夢を見た。