第五百夜

 

先生に不意に背中を叩かれ、慌てて、
「よろしくお願いします」
と頭を下げると、横一列に並んだ先輩や同学年ながら他学級の生徒達も口々によろしくと答えたり、小さく会釈を返してくれた。

何もこんな時期に引っ越さなくてもいいではないかと、何処か遠くへ行ってしまった、そして大して会話したこともないクラスメートを恨めしく思う。

ここは学校の図書室で、私は急遽選ばれた図書委員である。体育祭を終え、初めての中間試験を三週間後に控えたこの時期に突然何処かへ引っ越してしまった級友の代役で、今日初めて他の委員に紹介されたところだ。他の委員でないどころか、所属する部活もない帰宅部員であったため、急な転校で出た欠員補充の白羽の矢が立ったのだ。
「じゃあ、後は今日担当の三年生達、お願いね」
と言って先生が図書室を出て行くと、生徒のほとんどもそれにぞろぞろと続き、二年生と三年生の先輩が一人づつその場に残る。

何をどうしていいものか微塵もわからずにきょろきょろと辺りを見回す私に、赤いゴムの装飾の入った上靴を履いた先輩が、
「大した仕事でもないから、心配しなくても大丈夫」
と声を掛けてくれる。
「はい、ありがとうございます」
と、上擦った余所行きの声をどうにか絞り出して返事をする。うちの中学校では上靴の装飾部分の色が学年毎に分けられている。もうひとりの背の大きな先輩の上靴は黄色いゴムで二年生、私と余り背の変わらないこちらの先輩のほうが三年生のようだ。
「とりあえず」
とカウンタの中へ招かれ、三人でカウンタの中の椅子に腰掛け、簡単に自己紹介を交わし、仕事の簡単な説明が終わって尚、元来内向的な万年帰宅部の私の緊張はなかなか解けない。
「それでね、うちの学校の図書委員だけの秘密があるんだけど……」
と三年生の先輩が言う。自習用か閲覧用か、図書室には大きな机と椅子とが並んでいるのだが、
「一番奥の角の席はね、どんなに混んでいても誰も座らないの。何故か分かる?」
と小首を傾げるので、こちらは首を左右に振って応じると、
「あの席にはね、いつもセーラー服の女の子が座っているの。うちの学校の制服がブレザになる前のデザインなんだって」
と、わざとらしく低い声でおどけて言う。
「え、あ、でも私、霊感とかありませんから」
と返すと、
「それがね、このカウンタの中から横目でその席を見たときだけ、誰でも見えるんだって。ほら、今も……」
と、顔はこちらに向けたままゆっくりと黒目をその席へ向ける先輩に釣られ、目だけを動かしてそちらをみると、紺色のセーラー服に薄い水色のスカーフらしき姿がちらりと見えた様な気がする。
「でもね、あんまり見てると良くないことが起きるらしいよ。前を向いていれば見えないから、気にしちゃ駄目。あと、これは図書委員以外に教えちゃいけないんだって」。
大真面目な顔で唇に人差し指を当てる先輩を見ながら、先程見えたものはきっと気の所為で、この怪談話はなかなか打ち解けない私の緊張を解こうとする冗談か、それとも秘密を共有して連帯感を演出する先人の知恵として受け継がれてきたものなのだろうと思うことにした。

そんな夢を見た。