第四百二十八夜

 

髪にタオルを巻いた妻に促され、風呂に入って体を洗っていると、しばらくして洗面所兼脱衣所からドライヤの音が聞こえ始めた。

美容院の滞在時間を短くしたいとの理由から、元は肩より下まで伸ばすことの少なかった彼女の髪はこの一年で背中の中ほどまで伸びていたから、時間が掛かるのも無理はない。一通り体を洗い終えて湯船に浸かり始めても、未だ音は止まない。
目を閉じたまま湯を味わいつつ、そろそろ湯が温くなってきたから上がろうかと考えているとドライヤの音が止み、一拍置いて、
「きゃあ」
と洗面所で悲鳴が上がる。

驚きながら戸を振り向き、どうかしたかと問う声が浴室内によく響く。次いで、いい歳をして子供みたいな悪戯をするなとお叱りの言葉が飛んでくる。

何のことか全く心当たりが無かったが、これまでの習慣に従って謝罪の言葉を述べ、妻の去った洗面所へ出て寝間着を着る。
居間に戻って深夜のニュース番組を見ている妻に、先程の悲鳴は何だったのかと訪ねてみると、風呂の磨りガラスの戸に貼り付いて驚かそうとしていただろうと口を尖らせ、
「わざわざ長髪のカツラまで用意して、馬鹿じゃないの?」
と、本気でお怒りのご様子だ。

しかし、悲鳴の聞こえたときには確実に湯船の中に居たし、そんなカツラなど持ってもいない。ガラス戸に反射した自分の姿でも見たのではないかと尋ねると、磨りガラスに姿が映るなんてそうそう無い、普通のガラスだって向こうが真っ暗かつこちらが相当に明るくないと、姿が映って見えたりはしないと正論が返ってくる。

そうなると浴室内に誰かがいたことになるのだが、洗面所側に背を向けて湯船に浸かっていた自分が振り返ったときには、戸に貼り付く人影など勿論無かった。

そんな夢を見た。

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