第四百夜

 

病室で亡くなった患者さんの清拭が終わり、ベッドからストレッチャへ載せて病室を出る。遺体の搬送業者が来るまで、一時的に霊安室へ移っていただかなければならない。

ご高齢の奥様は付きっきりの看病続きであったにもかかわらず、背筋を伸ばし、ただ矢張り目元にはハンカチを当てながら、ストレッチャの後に付いて来る。危篤の報せに他のご家族は間に合わず、独りでご主人を見送った心境を思うと、この仕事をしてそれなりに長いものの、やはり身につまされるものがある。他のご家族は霊安室か、それとも安置先かでのご対面になるだろう。そういうことをいちいち考えるのは随分前に止めたつもりだったけれど、偶にはうっかり考えてしまう。

ストレッチャの載る大型エレベータの前に着き、箱の到着を待つ間に奥様が、
「このまま一緒に乗って下りられますの?」
と尋ねる。そうそう体験することでもないから、勝手が分からなくても仕方がない。うちの病院では、この人数でしたらご同乗していただいて結構ですと伝えると間もなく箱が到着し、扉が開く。

ゆっくりとストレッチャを中へ押し込み、続いて奥様がお入りになったのを確認して「閉」のボタンを押す。

いつもと変わらぬ速度で扉が左右からせり出してきて、しかし途中で何かにつかえ、再び開く。何かつかえるようなものがあったかと思い扉の通るレールに視線を落とすが、特に何も見当たらない。下にないなら上かと念の為に見上げるが、当然ながら何もない。思わず、
「おかしいですね」
と漏らした私を奥様が振り返り、どうかしたかと尋ねるので、どうも扉の調子が悪いようだと伝える。と、奥様は一瞬呆れたような顔をしてから故人の方へ向き直り、
「爺さん、いい加減に往生際が悪いよ、よくしてくれた看護師さんに迷惑を掛けるんじゃないの」
と、雰囲気に似合わぬ厳しい声で一喝する。

呆気にとられて奥様を見つめる私の背後で、今度はすんなりと扉が閉まった。

そんな夢を見た。

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