第三百八十六夜

 

深夜、僅かなタクシィとトラックの他には通るもののほとんど無い幹線道路に自転車を走らせて日暮里駅の東側に着くと、シャツもズボンもすっかり汗で湿っていた。

九月のこの時間でもまだ湿った熱気が澱のように淀んで蒸し暑い。自転車を降り、ペット・ボトルの水を一口飲んでから、自転車を押しながら歩道を上がると、鳥居のような門に続く長い階段が現れる。
――ここが……。

駅前がコンビニエンス・ストアや看板の灯りで明るい分、陸橋に続く階段は一段暗く感じるが、どうということはない。只の長い階段だ。

そんな階段に何故わざわざ、それも深夜にやってきたかと言えば、この階段の怪談話を耳にしたからだ。曰く、二十何段目かに立って下を見ると、黒髪の少女が見えるとか、上から老婆に声を掛けられるとか。

日暮里から南に進むと鶯谷、もう少し南には上野、そしてこの階段の先の陸橋を渡って少し先には谷中がある。風俗街、学生の街、不忍池、谷中霊園と、怪談の種になりそうな要素は十分かもしれない。が、駅の一部のようなこんな場所に怪談というのも妙なものだ。

階段には細いながら自転車のタイヤを乗せるための坂があり、車輪をそこに乗せて階段を上がる。左右には一メートルほどの高さの緑色の手摺があり、その上に取って付けたような金網の柵がこれまた一メートルほど乗せられているのだが、これが下の手摺に比べて酷く錆び付いていて、手摺に向かって赤茶けた染みが流れている。何か事故でもあって急遽取り付けたのだろうかと想像すると、多少気味が悪くなる。

左にファミリィ・レストランの看板を見ながら、一歩ずつ、一段ずつ、頭の中で数を数えながら階段を上る。十六段登ったところで水平な床が一メートルほど続き、再び階段が始まる。
――十七、十八……。
まだ、何事もない。
――十九、二十……。
そのまま二十五段目にまで辿り着き、やはり何も起きぬではないかと思うと同時に、すぐ背後で金属音が一つ、甲高く長く鳴る。錆びた金網が動いて手摺にぶつかりでもしたのだろう。

そう思いながらもそこで振り向く気にはなれず、随分と遠回りになるとは思いつつ、このまま陸橋を渡って帰ろうと心に決めた。

そんな夢を見た。

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