第三百八十二夜

 

秋の夜長と言うほどではないが秋分も近付いて幾らか日暮れも早くなり、夕食後の腹がこなれてジョギングに出掛ける頃にはもうすっかり夜になっていた。

ジョギング用のジャージとTシャツに着替え、軽くストレッチをしてから家を出て最短距離を速歩きで公園に向かう。

特に容姿に自信があるではないが、暗い中を独りでうろつけば変な人にも遭うもので、学生時代に少々怖い思いをしたこともあり、この季節になると同好の士の多い駅前の公園のジョギング・コースを回って済ますことにしているのだ。

ただ、景色が代わり映えしないというのがジョギング・コースの難点で、端的に言って飽きてしまう。

公園に着くとイヤフォンを取り出して左耳に付け、スマート・フォンでラジオをかけ、音声出力の設定をモノラルに変えて走り出す。
学生の頃は流行りの音楽やら何やらを聞きながら走ったものだが、そういう情報を交換する相手が居なくなって久しく、自分でそれを集めようとも思わぬところを見ると、さして音楽が好きでもないらしい。ラジオなら周波数をあわせるだけでいつでもどこでも、軽快なお喋りの専門家が季節に合わせ、日々の話題を語ってくれるのが心地好く有難い。

走り出して間もなく、セミやオケラの声に混じって背後からの足音の急速に大きくなるのが右耳から聞こえ、左に寄ると大きな体のお兄さんが右脇を駆け抜けて行く。辞める理由がないというだけでジョギングを続けてはいるが決して速くはないから、こういうときにお邪魔にならないようイヤフォンは片耳だけにしているわけだ。

秋刀魚が不漁で今年は値段が上がって食べられそうにないないなとか、野球で誰々が調子がいいそうだから父ちゃんは機嫌がよさそうだなとか、そういうことを考えながら代わり映えのしないジョギング・コースを周り終え、呼吸を整えながら早足で帰宅する。

居間の冷房を強めに点け、絞れそうなほど汗に濡れた服を洗濯機に放り込み、シャワで汗を流して居間へ戻ると、火照った身体の熱がすっと引いてゆく。我が人生における至福の刻の一つだ。

汗が引くのを待って寝間着に着替え、ふと走りながら聞いた生活の知恵というのを試したくなる。曰く、銅のイオンが雑菌の繁殖を防ぐので、靴の臭いが気になる人は十円玉を入れておくとよいという。制汗剤の類に銀のイオンを謳ったものは見たことがあるが、銅でも同様の効果があるのだろうか。母が鉢植えのナメクジ避けになると言って十円玉を置いていたが、似たようなものだろうか。

そんなことが気になって財布を持って玄関にしゃがみ込み、先程脱いだばかりのジョギング・シューズを鼻先に近付けてみる。悲しいかな、理科の実験には十分だろう。そう結論し、右足だけに十円玉を投入し、明日の朝にでも臭いを比較する実験計画を立てる。

財布から一枚の十円玉を取り出し、できるだけ奥に届くよう、手首を利かせて靴の奥へ放り込む。
カチリ
と、靴の奥で硬い音が鳴る。はて、履いていて、そんな音を立てそうな硬い感触を味わった覚えはないのだがと首を捻りながら靴を縦にして揺さぶると、十円玉が二枚出て来る。

もちろん、これまでに十円玉を入れた覚えはないし、もし入っていたなら先程履いたときに気付くに違いない。

ひょっとしてと財布の中から五百円玉を取り出し、もう一度手首を利かせて靴の奥へ放り込むが、残念なことに金属音が鳴ることはなかった。

そんな夢を見た。