第三百五十二夜
外出自粛要請を受けて間もなく私が在宅勤務をすることになったのを知った看護師の友人から、しばしばネット回線を使った音声通話が掛かってくるようになった。
彼女はもちろん出勤をするのだが、非番になると外出も出来ず、特に平日昼間に電話の出来る友人もそうはおらず、暇を持て余していたのだという。
私の方も、時折上司から来る連絡以外には、キィ・ボードを叩く手を止めさえしなければ誰から咎められるわけでもないから、
「仕事をしながらだから片手間だけど」
と断った上で彼女の話へ適当に相槌を打ちながら仕事をすることにしていた。
そうして一ヶ月ほど経ち、そんな通話をしながらの仕事ももう何度目か忘れたが、今日も彼女から通話が来た。
いつも通り彼女の職場での愚痴が始まったのだが、その後ろがどうも騒がしい。
ひょっとしたら外出自粛に嫌気が差して、何処かへ出掛けてでもいるのだろうか。それくらいならばまあ、相手も看護師だから、門外漢の私などより余程対応をわきまえているだろうし、わざわざ指摘しようというつもりもなかった。
が、その騒がしさの種類が問題だ。赤ん坊の泣き声なのである。彼女は病院の女性用独身寮に一人住まいのはずで、赤ん坊の泣き声などするはずがないというのも気になるし、何より赤子の声というのは耳に刺さるもので、仕事にも彼女の話にも集中できない。
彼女の話に一つ区切りが付いたところで意を決し、
「近所かどこかで赤ちゃんが泣いていない?」
と尋ねると、
「あ、聞こえる?ごめんね」
と、何故か謝罪の言葉を口にする。どういうことかと尋ねると、
「この部屋を私の前に使ってた先輩から聞いたんだけど……」
と前置きをしてから話し始める。
この部屋の前の住人、つまり彼女の二人前の住人が、余り質のよろしくない男と長いこと交際をしていた。そういう男にはよくある話で、結局彼女はこの部屋で二人、自力で子供を堕ろしたのだそうだ。結局彼女は体調が悪くなり退職し、後にこの部屋へ入った先輩が、昼夜を問わず赤子の声を聞いたり金縛りに遭ったりで、暫く住む者がいなかった。こうして音声通話をしていると、ときおり相手からも赤子の声を指摘されるのだという。
私が、
「よくそんなところに住めるわね」
と素直な感想を述べると、
「そりゃあ、毎日誰かしらの亡くなるところで働いてるんだから」
と笑い、彼女は仕事の邪魔をしたことを詫びて通話を切った。
そんな夢を見た。
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