第三百四十六夜

 

映画を観ながら一人だらだらと夕食を食べた。他人との接触をなるべく避けるためには仕方がないが、なんとも寂しい、一人住まいの夜の過ごし方だ。

映画を観終わって洗い物を済ませ、そろそろ寝ようかと、着替えを用意して風呂に入る。
食料の買い出し以外で殆ど家から出ないから気付かなかったが、いつの間にか夜でもさほど気温が下がらなくなっているのだろう、蛇口からの水が湯に変わるのにさほど時間が掛からない。

手拭いに石鹸を付けて身体を洗い、シャンプーを手に取り、泡立てて髪に馴染ませる。

先刻まで観ていた映画では、若い女性がシャワを浴びている最中に背後から襲われていた。映画でのお約束というものだ。が、私も一々怖がるような歳でもない。小学生の頃なら、「髪を洗いながら『だるまさんがころんだ』と言ってはいけない。心の中で考えてもいけない」というような怪談話にビクビクしたりもしたものだが、今は髪を洗うのも上手くなって、眼を瞑ることもない。

壁を背に立ち、シャワの湯で髪の泡を流していると、目の前の扉がガチャリと音を立てて開く。「え」と思わず声が出た。家にはもちろん、私以外に誰も居ない。浴室の扉は磨りガラス状のプラスチックが嵌められていて、扉のこちらにはもちろん、向こう側にも誰の姿も見えなかった。

そんなことを考えながら二秒か三秒か硬直してから、跳ねた水が浴室の外へ出ないよう、こちらへ開いて来た扉を押し戻し、洗髪を続ける。もちろん、電灯がちかちかと明滅したり、湯の代わりに血が流れ出たりなどという怪現象は起きない。

風呂を上がり寝間着に袖を通しながら、一体何だったのかと思い返す。棒状に横に伸びたノブは、下がっていただろうか。単に半端にしか閉まっていなかったのが、何かの拍子に動いただけだろうか。まあよい、どうせ何も起こらなかったのだから。

髪にドライヤを当てながら、何故「風呂場で襲われる」のが映画の定番なのかと考えてみる。よくあるのは、斧で壁を破られるとか、蛇口から血が出るとか、排水溝から不快な生き物が現れるとか髪の毛が詰まっているとかだろうか。湿気の都合上、風呂場は外壁に面していることが多いから、外が近い。斧やチェイン・ソウで外部から侵入するのには向いている。上下水道や換気扇でどこか見えないところと繋がっているから、こちらの意味でも、外部の者が侵入してくるのに都合がいいのかもしれない。

そんな結論に至る頃には、髪は十分に乾いていて、スマート・フォンに誰かから連絡が来ていないかだけ確かめ、電源を切って布団に潜り、目を閉じる。

その瞬間に、一つの嫌な考えが頭を過ぎる。さっき、風呂場で起きた小さな怪異は、「扉が開くこと」だった。換気扇とも、上下水道とも関係がない。つまり、「部屋の中の何かが風呂へ入ってきた」か、さもなくば「外の何かが入ってきて、風呂場から部屋へ上がり込んだ」かのどちらかということになる。

その考えに至ると何となく首筋の寒くなるような気がして、布団を鼻まで引き上げて強く目を瞑り、早く寝てしまおうと努めることにした。

そんな夢を見た。

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