第三百四十二夜

 

イベント自粛の影響ですっかり暇になってしまったある日、それでも店を開け、宣伝用のビラや企業ページの刷新作業をしていると、事務所の電話が鳴った。

机を離れて事務所へ急ぎ受話器を取ると、落ち着いた女性の声が、
「お願いしたい仕事があるのですが」
という。

名刺、ビラや自費出版など、メニュの中から該当するものを選んでもらおうと、定形通りの案内を始めると、
「ちょっと、普通でないことなのです」
と彼女はそれを遮る。代わりに金は言い値を出すと言う。

内容を尋ねると、電話では説明し難いという。こちらの場所は知っているからというので、十五分後に約束をして電話を切る。

言い値で買う、何と甘美な響きだろう。長いこと商売をやっていて、初めて聞く言葉だ。新年度を控えての稼ぎ時をフイにされたこともあり、電話では説明できないという依頼の奇妙さも、さして気にならない。

湯を沸かしながら応接室の埃を払い、身嗜みを整えると、事務所のガラス戸の叩かれるのは直ぐだった。

マスクを掛けて訪ねてきたのは四十代手前くらい、失礼ながら痩せたというよりは窶れたような、線の細く陰の濃いご婦人だ。応接室へ通し席を勧め、紅茶を出すなり、
「こちらを、複製していただきたいのです」
と、肩に掛けた大きなトート・バッグから、薄く大判の本を取り出す。一目見て、学校の卒業アルバムだとわかる。

なるほど、出来ないわけではない。が、この手のものは素材が高い。数を作るならまだしも、一冊二冊となるとかなり値が張ることになる。
「もしものときの予備だとか、ご実家のための複製であれば、できるだけ綺麗にスキャンをして電子データとして残すのであれば……」。

説明を続ける私を見ず、彼女は生徒名簿のページを開く。そこには数枚の付箋が貼られており、それを痩せた指で指し示しながら、
「この子達の写真を全て消した上で、これを複製してほしいんです、写っている写真ごと消してしまうのではなく出来るだけ自然に。お願いします」
と縋るようにこちらを見上げる。その瞳に私はその時漸く暗い狂気の光を見た。

そんな夢を見た。