第三百三十二夜

 

風呂を上がって髪にタオルを巻き、部屋着に着替えるとようやく一心地付き、帰宅したという安らぎが得られた。

厳密にはまだ鼻はムズムズするし目も痒いのだけれど、これは風呂を上がってしばらくすれば治まる。恐らく、髪や皮膚に付着していた花粉が、洗顔や洗髪の際に水とともに粘膜に運ばれて、最後の抵抗を試みるのだろうと、勝手に考えている。

それぐらい少量でも敏感に反応するものだから、玄関の前で上着を入念に叩き、使い捨てマスクはビニル袋に入れてできるだけ花粉を部屋に入れないようにし、洗濯物は入浴前に洗濯機へ放り込むことにしている。

その洗濯がまだ脱水の段階なのを見て、先に夕飯の支度に取り掛かるか、と思いつつ、インスタントの珈琲でも飲もうと湯を沸かすことにする。

流し台の脇に逆さに干しておいた薬缶に水を入れ、コンロの火を付けて違和感を覚える。

いつも左手の中指にしている指輪がない。いや、家の中では付ける習慣がないので、今指輪をしていないのは問題ない。外した覚えがないのが問題なのだ。

金属アレルギーの私のために妹が探してきてくれた銀の指環で、それが嬉しくてクリスマスにもらって以来、外出するときには必ず付けている。いつもなら帰宅してすぐに、下駄箱の上の小物入れに入れるはず。

そう思って玄関まで行って小物入れを覗くが、そこに指輪はない。

高いものではないが混ぜものが少なく重宝している。もし失くそうものなら、私自身の愛着もさることながら、バイト代を貯めて買ってくれた妹に合わせる顔がない。

胸のざわつくのを感じながら、風呂を上がるまでの行動を振り返る。服と髪を払って玄関に入り、踵の低いパンプスを脱ぎ……。やはり外した覚えがない。

かと言って、実は余り心配をしていない。指の関節が太いので、意図せず指輪が外れることはまずあり得ないし、関節を超えるときの摩擦に気が付かないはずがない。だから、外出中に自分で外したか、昨日どこか特別なところへ片付けて、それを忘れてしまったか、いずれにせよ、自分の意志で何処かにきちんと仕舞ってあるはずだ。

とすれば、化粧台の小物入れの中か、はたまた鞄の中の何処かだろう。ひとまず心を落ち着けるために、ちょうどピィと音を立て始めた薬缶の火を止め、マグカップにインスタント珈琲の大瓶を振って粉を出す。

同時に、銀の指輪がカップへ飛び出し、キンと澄んだ音を立てた。

そんな夢を見た。