第三十三夜

目の前を蝿が飛ぶのが見えたので、舌を伸ばして捕らえて口へ運ぶ。シャリシャリとした顎触りが心地好い。動かなくなったのを確かめてから嚥下する。腹の中で暴れられると不愉快なのである。

と、視界の隅に朱く細長いものがちらちらと揺らめく。

蛇だ。

急いで狭い石の隙間に身体を捩じ込む。こういうときにはこのぶよぶよした身体が役に立つ。あの憎たらしい大きな顎も、この石の隙間に潜り込めば何ら脅威ではない。と、
「この臭いは蛙かな」
と、シャーシャー掠れた聞き取りにくい声が井戸の中に響く。
「何、怯えて隠れんでもよろしい。儂は鳥の卵を呑んだばかりで腹が膨れて苦しいくらいなのだ。この井戸の底へ降りてきたのも、喉が渇いたせいなのだから」
とは、何と見え透いた虚言だろう。
「ならば僕になど構わず、早々と水を飲んで上へ戻るといい。僕はここで昼寝でもするさ。湿って冷えた石が身体にぴったりして、実に寝心地が好いのだ」

くるるるると我ながら艶のある高い声で返事をしてやると、蛇はああそうするさと掠れた声で負け惜しみを言って頭を垂れ、細い舌でちろちろと水を飲む。
「ああそうだ」

安全地帯にいるというので気の大きくなったのか、くるるるると我ながら艶のある声で、蛇に一つ助言をしてやるつもりになった。
「この井戸の近くに、最近鳶が巣を掛けたのを知っているかい。君が卵を食べたというのはそいつのことかもしれんがね。この古井戸といえば屋根もとうに朽ち果てて、口は空から丸見えだ。外へ上がるときには気を付け給え」
と。

これを聞いて蛇はシャーシャーと笑う。
「この井戸から出たこともない君が吐こうというのなら、もう少しましな嘘があるだろう。鳥の巣が有りはしまいか、そこに卵が有りはしまいかと外の木を登り尽くしている儂に対して。この辺りにはもう何年も、小鳥しか巣を掛けてはおらんよ」

体が冷えて眠くなってきたので、忠告をするのも面倒になった。蛇は僕達のような高い声を聞き分けるのが苦手だからわからないんだろう。まあ、信じないならそれでもいい。君らが鳶に食われて居なくなった方が、僕らは安心して暮らせるんだものな。そう思って目を閉じて、一眠りすることにする。

バサリ。

暫くして大きな翼の空気を切る音が井戸に響いて水面を揺らした。

そんな夢を見た。