第三百二十七夜

 

マスタードの効いたソーセージを齧り、口の脂をライムの効いたカクテルで流す。週に一度、今週も折り返しまで頑張った自分への褒美として、仕事帰りに楽しむ「いつもの」メニュだ。

大きな繁華街の隅にある小さな店で、大人ぶってみせてもどうにも華やかで賑やかで下品な雰囲気の隠せない他の店と比べて落ち着いてゆっくり過ごせるので気に入っている。始めて来たのは今はもう引退してしまった大先輩に連れられてのことで、かれこれ十五年は通っていることになる。長く通っている何よりの理由は、マスタと馬が合うからだろうか。

今日は珍しく、店の隅の四人掛けの席に派手な格好の若い女が二人、少し年嵩の女が一人座っている。この店で水商売らしい女性客を見るのは久し振りだが、そういう日もあるものだ。

オリーブの塩漬けをフォークに刺して口へ運ぶ。

ただ、その三人が通夜の帰りかと思うほど静かなこと、時折そちらから視線を感じることだけは気になっていた。

カクテルのお代わりを頼みピクルスを齧ると、マスタは酒を量り取りながら、
「奥の席の女性、どう思われますか?」
と低い声で尋ねてきた。ながいこと店に通っていて、こんなことを言われたのは初めてだ。自分とは関係のない世界のことと碌に興味もなかったので気の利いた言葉も思いつかず、
「さあ、若い子は皆、綺麗で可愛いんじゃないですか」
と返す。マスタはよく切れるナイフでライムを綺麗に半月に切りながら、
「若い二人のうち、どちらか片方を家に預かってくれませんか?一泊二万円出しますので」
と言う。

一体何を言っているのかわからず戸惑っていると、マスタはグラスをこちらに差し出してから奥の席へ手招きする。それを見て急に席を立った年嵩の女が華奢な肩を更に窄めてこちらへ来、床に膝を注いて頭を下げる。

何が起きているかさっぱりわからず戸惑う私に、彼女は次のようなことを語った。

彼女の夫が、別の繁華街の飲食店の取り纏め役で、マスタと懇意にしているという。取り纏めというのは、女の子の引き抜きやらのトラブルの仲裁だとか、ボッタクリの防止やその反対、つまり安売り競争になって共倒れするようなことがないように、客引きの管理だとかいったことだそうだ。

昨日、あるホスト崩れの男が客引きをクビになったと言う。若い女性客を呼び込むために決まり事を破って大きな値引きを約束する常習犯だった。そういうのが一人でもいると皆が安売りをせざるを得なくなって、街全体が回らなくなる。かと言って、それを雇っている店がそれを正直に申告してクビにする訳でもない。他の店より多く客が引ければ、一時的には儲かるからだ。

では、どうやって見つけるか。それが、奥の席の若い女の子達だという。この繁華街で働いている彼女達にウイッグやらで変装をさせ、客を装って客引きと交渉し、「掟破り」の値段を提示した男の容姿と店とを報告させる。今回の男はそれに引っかかったというわけだ。

ところが問題が起きた。クビになったその男が、彼女の店で働いている女の子の一人を刺して今尚逃走中なのだそうだ。
「それは、クビになった逆恨みということですか」。
そう尋ねてから、まるでスパイ映画か漫画のような話に聞き入っているうちに渇いた喉を、カクテルで潤す。
「はい、私がこちらで店をやっているのを調べて……。刺された子には囮の仕事はさせていないんです。変装をさせていましたから、きっと背格好の似ている子を無差別に狙うんじゃないかと……。だから、その人が捕まるまでお店を閉めて……」
「で、彼女や旦那さんの周りじゃあ、きっと直ぐに調べが着くだろうから、僕のお客様で信用できそうな人を紹介してくれって言われてね」。

片目を閉じてグラスを磨きながら、マスタがこちらをちらりと見る。
「もちろん、無理にとは言わないし、お願いするのは一週間の食事と宿の世話だけ。部屋からは一歩も出られないからね。文句の言える立場じゃないことは、彼女達自身が分かってるから……。どうかな?」

女性を床に座らせたまま手を出すわけにもいかず、すっかり冷めたソーセージを眺めながら、まだまだ知らぬ世間の広さにしばし打ちひしがれた。

そんな夢を見た。

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