第三百二十夜

 

職業柄正月に休みが取れぬので嫁と子供達とだけで嫁の実家へ帰省させたのだが、帰宅するにつけ朝起きるにつけ、家の中がぽっかりと孔の空いたように広々としていた。

書き入れ時の忙しい合間、僅かな休憩中そんな話を部下にしたところ、一人の厚かましい新人が「寂しいのなら慰める」と言い出した。迷惑だというのも遠慮をするなと言って聞かず、正月四日の休日を前に仕事を終えた後、どうしてもうちへ押し掛けてくると頑張る。

家人の無いところへこのような人物と一対一で過ごすのはあれこれと宜しくない。

折角の休みを前に申し訳ないが、手当を出すからと別の部下二人に頭を下げて来てもらい、鍋をつつき終えたら彼を引き摺ってでもお引取り頂くよう話を付けた。彼らは帰り支度の遅れたことを後悔したろうが、こちらとしては感謝しきりだ。

彼らのための感謝の気持ちを込めて良い肉を買って帰り、食卓の鍋ですき焼きをつつく。一人楽しそうに肉を貪り酒を煽る不躾氏は、残り三名の冷めた愛想笑いに居心地の悪くならないものなのだろうか。実に不思議な気分で、折角の肉の味がよくわからない。

鍋も酒も少なくなってきたところで、不躾氏が尿意を覚えたと言い出す。部下の一人が意味ありげにこちらを見るので、横目に目を合わせたまま小さく頷いて、
「廊下へ出て左手が便所だ」
と言うと、彼は後に続いて席を立ち、ついでに行ってきますと不躾氏の背を押す。自ら監視役を買って出てくれるとは気の利く男である。後で感謝の言葉と心付けとを送らねばなるまい。

二人が戻ってくるともう一人も用を足したいというので、今度は私と二人で便所に向かう。

彼が遠慮するので先に便所に入ると、流石に便所の使い方まで目に見えて汚いということはなさそうで安堵の溜息が出る。

近い内に彼の首を切らないと、部署の和を乱すことになる。そんな事を考えながら用を足して水を流した瞬間、廊下から
「うわあ」
と大きくも情けない悲鳴が聞こえる。

慌てて便所を飛び出すと、寝室の扉の前に腰を抜かして尻をついている不躾氏とその右手を掴む部下とが見える。

何をしているのかと咎める私へ、不躾氏は左手に抱えた人形を投げつけると、そのまま私の脇を走り抜けて転がるように逃げて行く。

取り残された部下に何があったと尋ねる。

部下曰く、居間で二人になったところ、廊下の途中のドア、つまりこの寝室から人の気配がすると言い出した彼が、止めるのも聞かずに中を確かめてみると言い出した。流石に不味いと腕を掴んで止めようとしたのだが、彼はへらへら笑いながらドアを開け、開いたかと思うと同時に青いドレスを着た人形が彼の顔面へ飛びかかってきて、
「後はご覧の通りです」
と、彼自身青褪めながらこちらを見る。
「いや、驚かせて申し訳ない。泥棒とまでは言わないが、家の中を荒らされるんじゃないかと罠を張っておいたんだ」。
胸の前で妻のお気に入りの人形を揺すって見せると、部下二人は人が悪いと文句を言いながら、
「でも、アイツがあんな風に怖がるところを見られたのはちょっと、清々する」
と笑ってくれた。

二人の目の色から、私の言葉を信じてくれたと確信できた。
――良かった
と心底思う。これで今この家でこの人形を怖がっているのは、私一人になったのだから。

そんな夢を見た。