第三百九夜

 

朝から電車に乗って適当な駅で降り、ぶらぶらと知らない街を歩いて写真を撮って回るのを趣味にしている。

今日も秋晴れの空の下、赤く実った万両の実やら、それをついばみに来る野鳥やらをフレームに収めながら歩き回り、少々小腹が空いてきた。

どんなところでも正午を回れば飲食店は混む。そうならぬうちにと被写体よりも飯屋を探して歩いていると、大通りを挟んで小さな神社の正面に店を構える喫茶店が目に入る。――あそこで食事をしてから、腹ごなしに神社でゆっくりと被写体を探そうか。

そんなつもりで店に入ると、カウンタに並んだ常連らしい幾人かと談笑していた店主が、「お好きな席へどうぞ」
と、サイフォンの並んだカウンタ越しに掌で示す。
「荷物があるから」
と、よくわからない言い訳をして、彼らから少し離れた窓際の席へ荷物と腰を下ろす。こちらの落ち着いたのを見計らって店主が水を持って来、おすすめを訊ねてサンドウィッチと珈琲を頼む。

席からは通りを挟んで、神社の参道がほぼ真正面に見える。生け垣には神社らしく榊の類が青々と茂り、その奥にまだ幾らか紅葉をまとった楓が見える。
――今度は秋の見頃に来ようか。いや、春先の楓の若葉の水浅葱に透き通るのも捨てがたい。
そんな風に境内を眺めていると、手水桶の脇に、茶色く染めた腰まで伸びる長髪の女が立っているのに気が付いた。

丁度そこへ、
「ホット・サンドに少々お時間が掛かりますので、先にこちらをどうぞ」
と珈琲が運ばれてきた。サイフォンで淹れるのにどれくらい時間が掛かるものかと訊ねてみると、
「三分程お待たせしてしまったでしょうか」
と店主が頭を下げる。慌てて、
「いえ、寧ろ意外と早く出てきたもので驚いたのです。もし手軽なものなら、家に欲しいかなと」
などと取り繕うと、店主は再び笑顔を取り戻し、
「お湯を沸かすところから考えれば……」
と説明をしてくれるのを聞き流しながら考える。注文を終えてから、ずっと神社の辺りを眺めていたが、境内で動くものは何一つ無かったように思う。するとあの女性は、注文を終えるより前からあそこに居て、店主の珈琲を持ってくるまでの三分以上ずっと手水桶を見つめていたことになる。
「ですから、豆の処理や洗い物の手間がネックでしょうか」
「なるほど、ちょっと悩んでみます」
とカップを手に取り、口へ運ぶ。なるほど、香りは高いが苦味や酸味というか、口に支えるものがなく、さらりとした口当たりだ。これまで飲んだサイフォンの珈琲もこんなだったろうか。よく覚えていない。

失礼しますと頭を下げてカウンタの内へ戻る店主を尻目に見てから、もう一度神社へ顔を向ける。
幸いというべきか、そこに女の姿は無い。代わりにハクセキレイだろうか、白黒縞模様の小鳥が落ち葉をひっくり返しながら跳ね回っている。
「お待たせしました」
とサンドウィッチの皿を運んできた店主に神社について尋ねると、
「この辺りの水神様です。親父の代のことなので詳しくはわかりませんが、バブルの頃に上手いことやって、随分名前が売れたとか」
と、割と人気のある神社らしいと説明してくれる。

先程、若い女性が一人でいたが、と口にすると、店主は「ええ」と頷いて、
「うちにも、あちらの神社の帰りに寄っていらっしゃる方はたまにいますね。水子供養だとか。最近はまた少し増えたかなぁ。悲しいことです」
と少し目を細めて神社を見遣り、「ごゆっくりどうぞ」と頭を下げて退く。

程よく溶けたチーズとハムのホット・サンドを齧りながらもう一度神社へ視線を向けると、いつの間にか一匹の茶虎の猫が、石段の陽溜まりに香箱を組んで座っていた。
そんな夢を見た。