第三百八夜
アルバイトを頼んでいる子達のシフトの都合が上手く付かず、深夜から朝までの店番の後、六時間だけ休憩を挟んで昼からもう一度店に入らなければならなくなった。自宅はすぐ近いとはいえ、時間が短いので帰宅して寝るわけにも行かない。
結局、朝の冷えた空気の中を出勤や通学のために駅へ向かう人波に逆らって一度帰宅し、簡単な食事を摂って風呂に入り、すぐにまた店に戻って事務所の長椅子に横になることにした。
朝のラッシュ・タイムを過ぎて幾らか暇そうなバイト二人に軽く事情を説明して事務所に入り、ビニル張りの安物のソファへ眠い体を横たえる。スマート・フォンのアラームを確認して胸ポケットに入れ、目を閉じる。
どれくらい経ったのか、すっかり眠っていた耳に、事務所の電話の呼出音が届いて目が覚めた。胸のスマホが鳴動した覚えもないので、バイトの二人のどちらかがとってくれるだろう。そう思って寝返りを打ってもう一度眠ろうとするが、コールが五回になっても止まない。
私が居るから取りに来ないのかもしれぬと思い直し、七度目のコールで体を起こして机上の受話器を取り耳に当てる。と、店名を名乗るより早く、
「一度、お店を出なさい」
と一言だけ、若い女性の声がして直ぐに通話が切れた。
イタズラ電話か何かと思ったが、何か妙に鼓動が早い。寝ていたところを飛び起きたからと自分を納得させようとしても、飲み薬が食堂に張り付いているような違和感が残る。
ひとまず靴を履き直して店に出ると、やけに静かで驚く。店内放送も止まっており、店員の姿も何処にもない。慌てて店外を見ると大通りを通る車さえ無いように見える。
たまたま車の途切れたタイミングなのだと思い店外へ出るが、驚いたことに上りも下りも、本当に一切車が見えない。そんな馬鹿なと立ち尽くす私の横で、
ピリリリリ
と電子音が鳴り出す。驚いて振り返ると、入り口脇の公衆電話の呼出音らしい。
理解を超えた出来事が連続して起きている恐怖と、この電話に出れば解決するのではないかと藁にも縋る思いとが交錯し、勇気というよりは恐怖を逃れたい思いから受話器に手を伸ばす。
「もう、戻っても平気」。
先ほどと同じ声がそれだけを告げ、通話が切れる。それだけで何か救われたような心地がして胸が楽になる。
それでも幾らか緊張しながらこっそりと店のドアを潜ると、カウンタの中から、
「あれ店長、裏で寝てたんじゃ?」
と、バイトの大学生の驚く声がして、思わずほっと胸を撫で下ろした。
そんな夢を見た。
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