第二百八十六夜

 

打ち合わせを終えて外に出ると、低い雲が垂れ込めて辺りは既に薄暗くなっていた。秋の陽は釣瓶落としとはこのことか。

一雨来る前にと急いで事務所へ戻ると、独り留守番を任せていた事務員の女の子が青ざめた顔で出迎えてくれる。

どうかしたかと尋ねると、隣が壁をガタガタ揺らすので恐ろしいのだという。

事務所は雑居ビルの二階にある。床面積が広いのを持て余した美容室がフロアを仕切り、裏通り側をうちが安く貸してもらっている。その仕切側の壁が時折叩かれるように音を立て、ファイル類を仕舞った戸棚が小さく揺れるのだそうだ。

隣の店主や店員とは顔見知りで、互いに旅行へ行けば土産物をやり取りする程度に良好な関係だ。後付の壁を叩けば互いに響くのは間違いなく、客商売のあちらが営業時間内にそんなことをするとは考え難い。

そんなことを考えながら荷物を片付けていると、右手の壁がカタンと鳴る。彼女の言うよりは随分と大人しいが、まあ異音がするというのは確かなようだ。

向こうには話をしたのかと尋ねると無言で首を振るので、店を尋ねるべく事務所を出ようとすると、彼女も後を付いてくる。待っていても良いというと、独りでは怖いと言って首を竦める。

するともう一度、壁からカタンと音が鳴り、背後で短く悲鳴が上がる。

二度目に聞いたからか、音の響きに違和感を覚える。壁があちらから叩かれて伝わってくるような籠もった音ではない。となると、壁をこちらから叩くものがあるのか。

そう思って抽斗から懐中電灯を取り出し、棚と壁の隙間を照らし、肝を冷やす。小さく丸い何かが、ぬらりと光を反射するのと目が合ったような気がしたからだ。

細い隙間にどうにか手を突っ込んで手に取ると、それはフクロウか何かを模した木彫りの根付で、自分には見覚えがない。心配そうにこちらを見ていた事務員に尋ねても心当たりは無いという。

なかなか愛らしい表情をしているので神棚にでも載せて飾ろうとすると、気味が悪いから止めてくれと哀願され、仕方なくハンカチに包んでポケットへ仕舞い込む。

改めて隣へ話を聞きに行こうとすると、
「それのせいだから、もう大丈夫です。できればお焚き上げに持っていって下さい」
と、怯えた表情ながら何故か自信有りげに断言するので、そういうものかと思い帰り支度に取り掛かったる。

結局、事務所を閉めるまでの十分ばかりの間は確かに先程までの物音が一度もせず、
「言った通りでしょう」
と青ざめつつ胸を張る事務員の話に適当な相槌を打ちながら、最寄り駅へ歩いた。

そんな夢を見た。