第二百七十四夜

 

半年ぶりに母と二人並んで夕飯の食器類を片付け終え、マグカップを片手に廊下へ出て居間へ向かう。

避難勧告も出ていないとは言え、横殴りの雨の雨戸を叩く音は聞いていて心地の良いものではない。台風の接近に伴って、三十分おきぐらいに降っては止みを繰り返している。小康状態を挟む度に風と雨脚が増し、時折庭木が大きくざわめくようになってきた。

空調でよく冷えた居間に戻り、テレビの野球中継を見ている父の横でココアを入れようと茶棚に手を伸ばすと、後を付いてきた母が、
「あら?」
と言って玄関へ向かう。どうかしたのかと居間の襖から顔だけ出して覗くと、玄関の灯りに照らされて磨ガラスの向こうにぼんやりと人影が見える。
「どうかされましたか?」
と母が声を掛けると、若い、というよりは少女の声で、何とかさんのお宅ですかと返事があった。強い風雨でノイズも混じった上、ガラス越しの声はよく聞き取れなかったが、それでも我が家の名字でないことは分かる。

女性の声に安心したのか、母が玄関の錠を外して引き戸を開けると、年齢の割に派手な服装の小柄な女の子がイヤホンを外しながら、何とかさんのお宅ではありませんかともう一度尋ねる。
表札の通りだと母が返すと、
「友達に電話で案内された通りに歩いてきたんですけど、道を間違っちゃったみたいですね。失礼しました」
と、以外に丁寧な言葉遣いで頭を下げて踵を返す。

母がそれを呼び止めて、この雨の中、傘も差さずに何処へ行くのか、タクシィでも呼ぼうか、それともせめて傘だけでも貸そうかと矢継ぎ早に尋ねるが、少女は全て、
「いえ、平気です」
と曖昧に返して雨の中へ歩き出そうとする。母は慌てて、
「この風じゃ役に立たないかもしれないけど、返さなくていいから持っていきなさい。気を付けて」
と彼女に傘を握らせて、頭を下げてから夜道へ歩き出したその後ろ姿を暫く見送る。

居間へ戻ると、こんな台風の、こんな夜中に娘を一人で出歩かせるなんてどんな親だと文句を言いながら急須で茶を淹れる母に、
「あの子、この雨の中ここまできたのに、傘も雨合羽も無しでどうやって来たのかな。濡れてなかったよね」
と問うと、
「あら、そう言えば。変ね」
と言って煎餅を齧った。

そんな夢を見た。