第二百七十二夜

 

質の良いものが多少売れてしまうのは諦めて、陽が傾いてから家を出て買い物に向かったが、皆考えることは同じなのか棚の商品は時間の割に減っていなかった。

数日分の野菜や魚を買い込んで店を出ると西の空が橙色に染まっている。日差しは行きに比べればずっと弱くなっているが、よく冷えた店内に慣れた体に湿度の高い外気はやはり堪える。

ユスリカやトンボの飛ぶのが西日に照らされて目立つ中を、冷えた我が家を目指して早足で歩く。

十年ほど前、市が「都市部の緑化」を謳って、昭和の頃にコンクリートで固め、蓋をして殺してしまった小川の再生事業を始めた。暗渠、つまり単なる水の通り道になっていた小川を、交通に影響の少ないもの、川幅のある程度大きなものに限って蓋を外し、川底に岩を置いて中洲を作っていった。

直ぐにやって来たのは植物と羽虫で、中洲の回りにはガマやアシ、中洲にはネコジャラシやタンポポが生い茂り、しばしばユスリカが蚊柱を立てるようになった。

しばらくすると小さな魚が見られるようになり、それを求めてかカワウやサギの仲間が来、茂みで子育てをするのにカモの仲間がやってくるようになると、蚊柱の害はさほどでもなくなった。

そんな過程で出来た橋を渡りながら、つい習慣で川面を眺める。中洲に高く伸びた茂みの中でカモが羽根にくちばしを突っ込んで、毛繕いをしているのが見え、この陽気にあの羽毛を着込んでいてはさぞ暑かろうなどと思っていると、橋の反対側からドブンと大きな水音がして振り返る。

カワウなら、魚に気取られないよう、もっと静かに水に潜る。この川で鯉などの大きな魚は見たことがない。一体何がと、しばし足を止めて欄干から身を乗り出して川面を見つめるが、傾いた陽は川底まで届かず、中の様子はよくわからない。

暫くそうして、じわじわと汗の湧き出るのに我に返って、家路を急ぐことにする。

帰宅すると留守番をしていた娘が珍しく玄関まで出迎えたかと思うと、約束しておいたアイス・キャンディをねだるので、冷凍庫行きの買い物袋を彼女に託し、自分は生鮮食品の袋を台所まで運ぶ。
冷蔵庫の隙間に袋を詰め込む娘を横目に、野菜の水洗いをしようと流しに立って買い物袋を開けると、キュウリが無い。

よく冷やしたキュウリの漬物が夫と娘の好物で、日照不足で出来の悪かった今年ようやく見つけた立派なキュウリだったから、喜んで買ったはずだ。

慌てて財布の中のレシートを確認しても、やはりお代は払っている。

片付け終わってアイス・キャンディを舐めていた娘がどうかしたのかと尋ねるのでキュウリが無いと答えると、
「川で河童に盗まれたんじゃない?」
と笑った。

そんな夢を見た。