第二百七十一夜

 

今年から移った勤め先の最寄り駅の近くに、常連とは言わないが月に数度呑みに行くようになったバーが有る。

落ち着いた雰囲気ながら気障でも成金趣味でもない、かといって垢抜けず貧乏臭さもない不思議な店だ。

今日も仕事を終えて駅へ向かう道すがらその店の脇を通り掛かると、店先に置いた黒板に「ソルティ・ドッグ一杯無料の日」と大きく書かれているのが目に入り、今日も立ち寄ることにした。

店内には顔見知りの客はおらず、カウンタ席に腰掛けると、
「ソルティ・ドッグは、お召し上がりになりますか?」
とバーテンダが尋ねてきた。折角だから頂くことにし、サラミとオリーブの塩漬けを頼んで、店内の冷えた空気を味わいながらバーテンダの小気味良く働く手元を見つめる。

どうぞと出されたソルティ・ドッグをチビリと舐める。酸味と塩辛さとで、ついつい口が次の一口を求めてしまう。これまで余り飲んだことがなかったが、汗を掻いた日の口によく馴染む。

手の空いたバーテンダにそんな感想を述べると、
「スポーツドリンクって、ちょっと塩気のあるグレープフルーツ風味のものが多いでしょう。汗を掻いたら、クエン酸と塩分というのは、理に適っているんでしょうね」
と言うので納得する。

柑橘系のカクテルをもう一杯頼み、またそれを作る手元を眺めながら、何故こんな無料サービスをしているのかと尋ねると、
「お客様の熱中症対策、ということではご納得いただけませんか?」
と、歯切れの悪い返事が返ってくる。

何か言い難い事情でもあるのかと思い、返事を保留する口実にグラスに口を付ける。
「今日は先代のオーナの命日でして、その一番のお気に入りを召し上がって頂こうという、今のオーナの意向なんです」。

それを聞いて、次はもう一杯ソルティ・ドッグを頼もうという気になった。が、それが本当なら、何故初めは中途半端にぼかした言い方をしたのかと、胸に引っ掛かるものが残った。

そんな夢を見た。