第二百四十二夜

 

書類仕事が片付くと、職員室に残っているのは今年ここへ赴任してきたばかりの私と、一回りほど年上の先輩一人だけになっていた。声を掛けると、
「もう暫く掛かるから、お先にどうぞ」
と言うので、さっと机の上を整理して外へ出る。

表はすっかり暗くなっていた。大型連休のために生じた書類仕事のお陰である。今年は例年の倍も長く、その分事前の仕事量も多い。もちろん連休中も部活動云々でろくに休めない。
ふと校舎の巨躯を振り返る。何年経っても、すっかり人の居なくなった夜の校舎からは独特の威圧感を受ける。頼りない吊橋から下を見下ろすときの、或は放水時のダムの水面に現れる巨大な渦を見るような不安を感じる。

すると、職員室のある一階を除いて一面暗く並んだ校舎の窓のうち、三階の小さな窓に一つ、ぽつんと灯りのついているのが見える。その大きさと位置から、女子トイレだろう。――誰かが消し忘れたか。

面倒だが、気付いてしまった手前仕方がない。玄関へ戻って靴を上履きに履き替え、早足に階段を上って三階に付くと、すぐ脇の廊下にトイレの灯りが漏れている。

入り口のすぐ右の壁に灯りと換気扇のスイッチがある。左脚を踏み入れて覗き込むようにその位置を確認してツマミを倒すと、パチンと音がして即座に視界が真っ暗になる。と同時に、
「きゃあ」
と奥の個室から悲鳴が上がり、狭いトイレ内のタイルで反響し、心臓が縮み上がる。
「ごめんなさい」
と慌ててスイッチを戻すと視界は再び明るくなる。声の調子からして、用を足しているのは女生徒だろう。
「もう最終下校はとっくに過ぎているから、一緒に学校を出ましょう」
と声を掛ける。が、返事はない。用を足しているところへ声を掛けられるのが恥ずかしいのだろうかと暫く待ってみるが、個室からは物音一つしない。

肌寒いのに脂汗が滲んでくる。意を決してトイレに入り、手前の個室から扉をノックしてみる。反応は無い。取っ手の部分には青い丸が表示されていて、鍵が掛かっていないのもわかる。念の為「あけるよ?」と声を掛けてから取っ手を引くと、中にはもちろん誰も居ない。

次の扉も同様で、その次の扉も予感通り、鍵が掛かっていない。声を掛け、思い切って扉を開けると、やはり蛻の殻だ。
――きっと、疲れて幻聴でも聞こえたのだ。
そう思うことにしてトイレを出際、壁のスイッチで電灯を切ると、再び
「きゃあ」
と悲鳴が上がり、半ば腰を抜かしながら、逃げるように階段を駆け下りた。

そんな夢を見た。