第二百二十九夜

 

帰りの会が終わってランドセルを片手に席を立つと、後ろの席の女子から呼び止められた。

続々と教室を出て行く級友達を早く追いかけたいが、一体何の用かと問うと、卒業式の後、謝恩会で弾くピアノの練習に付き合ってほしいと言う。直ぐに断って帰ろうとすると、
「何故そんな意地悪を言うの」
と妙な非難を受けたので、腹が立って反論する。
一つ、我々は特に仲がよいわけでも何でもない。
一つ、私は芸術全般に疎く、ピアノの練習に付き添って何かの役に立つとは思えない。

我ながら実に合理的な理由だが、残念なことに彼女は尚食い下がり、
「何にもしないで、教室に居てくれたらそれでいいから」
と言う。

特に手伝うこともなくただ無為に時間を過ごせというのなら、こちらとしてはむしろ余計に願い下げだ。

改めて断る私に、彼女は半分べそをかいて、
「あのピアノのせいなの」
と言う。彼女の指差す先には一台のアップライト・ピアノが置かれている。他校がどうかはわからないが、それまで学年が上がって教室が変わる度、教室にはオルガンが置かれているのを見ていたから、明らかに高級なそれを初めて見たときには少々驚いた覚えがある。気になって他のクラスを見に行くと、やはりそこにはオルガンが置かれていた。つまり、この教室だけ特別だった。

それにしても、ピアノのせいで練習する教室内に、何の役にも立たないであろう私が付き添わなければならないというのはどういうことか、少々興味が湧く。

理由を尋ねると彼女は早口に、
「家には電子ピアノしか無いから、先生に放課後、このピアノを練習に使わせてほしいと言ったらね……」
と捲し立てる。

数年前、この学校に通っていた少女が、卒業間近に病気で亡くなった。もともと身体の弱い子で、そう長くは生きられないと分かっていたそうだ。

外を走り回る体力も無く、体調の良いときはピアノを弾いて過ごすのが好きだった。両親も少女のために、家に置ける範囲ではあるが立派なピアノを買ってあげた。

少女が亡くなると、思い出の品といっても両親はどちらもピアノを弾かない。折角だからと小学校に寄付をして、はじめは音楽室に収められた。

ところがそれ以来、放課後の音楽室でピアノが鳴る、授業中に歌うと知らない女の子の声が聞こえるなどと噂が立った。

その噂の中に、アップライト・ピアノのそばに女の子が立って、
「ここは寂しい」
と呟いているというのがあり、試しにピアノを教室へ移動してみたところ怪現象の噂はピタリと止んだのだと言う。

そんな夢を見た。