第二十一夜

社屋に着くと、入り口のガラス扉の前に制服警官が二人仁王立ちをしていた。社員証を見せると、中で現場検証をしているので規制線の内への立ち入りは現場の警官へ許可を取るようにと言って脇へ退く。
「何か事件が?」
と左手の警官に問うと、彼は目だけを機敏に動かしてこちらを見、答えかねるとだけ短く、しかしはっきりと丁寧な言葉で答える。右手で扉を押し開けながら、彼はきっと好青年なのだろう、慇懃無礼に感じるのは、朝から面倒に出くわした私の虫の居所が悪いせいなのだろうと考える。

ロビィを進んで左右の通路を見回すと、左手の廊下の突き当りにロープが張られている。灰色のスーツに身を包んだ中年の痩せた男がこちらに気付き、上目遣いにこちらを睨む。

ひとまず自分の部署へ行くには問題無いようだが、何があったのかを知らずにいるのも落ち着かない。踵を返し受付嬢に片手を挙げて挨拶し、何があったのかと小声で尋ねる。
「あの階段の下で、女の人が首を折って亡くなっていたんだそうです」
と口元に手を当ててやはり小声で返したのは長い黒髪の受付嬢。

確かに、戦後間もなく空爆の焼け野原に建てられたこのビルの階段は一段一段が高い。転げ落ちたか、突き落とされたか、いずれにしても打ちどころが悪ければそういうこともあろう。そう感想を述べると、セミロングの受付嬢が眉根を寄せ、しかしどこか嬉しそうな早口で、
「それが違うんですよ」
と言う。

彼女の言うところによると、階段の手前にではなく、階段の奥の、二階へ上がる階段が踊り場で折り返した先の階段下の空間に死体があったのだそうだ。私は普段利用しないが、清涼飲料水の自動販売機と空気清浄機が置いてあり、喫煙所になっていたはずだ。そう確認する私に、
「はい、階段の手摺と空気清浄機の間で倒れてたそうなんです」
と返す。

確かに、首を折ったなら即死だろう、階段から落ちた後に自力でそこまで這うとも考えられず、転落事故という可能性は極めて低い。殺人事件という見立ては合理的だ。

そういう私に頷いた後、
「でも、あの場所って何か……」
と黒髪の嬢が言葉を濁すと、
「何か変ですよね」
とセミロングの嬢が言葉を継ぐ。

何かあるのかと尋ねると、自販機の置かれている床の高さが、一階の床よりも低いのだという。
「何か、階段が一段だけあって、その先を埋めたような……」

その言葉を聞いて思い出した。入社したばかりの頃、残業中の軽食のツマミに先輩と交わした雑談である。

このビルの地下は一階のみ。中央階段を降りて左右に扉があり、右手が機材倉庫、左手が資料室。
「この資料室に入るとき、何か気づかなかったか?」
と問う先輩に首を振ると、機材倉庫の扉が古い木の扉なのに対し、それと向かい合って取り付けられた資料室の扉は青いペンキの塗られた金属製なのは妙だとは思わないかと重ねて問うので、曖昧に頷いた覚えがある。
「そもそもなァ、このビルの階段は中央と入って左の二箇所だろう?」
つまり、機材倉庫へは中央階段から、資料室へは左手の階段からしか入れない様になっていたのではないか。それを、何かの理由で中央階段から資料室へ行き来できるように、後から壁を破って扉を付けたのではないか。

そんな話を掻い摘んで二人に披露すると、中央から行き来できるようになって、西から地下へ続く階段を埋めたのだろうとか、いやいや何か事情があって西階段を埋めたから、中央階段から行き来できるようにする必要があったのだろうとか、ではその事情とはああだろうか、いやこうに違いないと、二人の話に花が咲いた。

私は二人にまた後でと挨拶をし、中央階段を上って自分の持ち場へ向いながら、地下の資料室の様子を思い出す。

資料の並べられた棚の向こう、西階段側の壁に、本来の出入り口の扉があったのだろうか。あったとすれば、それは今もまだ棚の裏に隠れてあるのだろうか。その扉の向こうにあるはずの空間は、階段を塞いだときに埋め尽くされてしまったのだろうか。それとも、今の床の部分だけがコンクリートで固められ、階段の多くは今もぽっかりと、誰も踏むことのない真っ暗な階段として、そこにあるのだろうか。

そんな夢を見た。

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