第二百五夜

 

ドリンク・バーから食後の珈琲を手に窓際の席へ戻ると、頬杖を突いた友人が窓外の冷たく澄んだ青空を見上げながら、カゲウツシをやったことはあるかと尋ねる。

何のことか見当も付かぬと首を振る私を振り返って出身を尋ねるので南国の名を挙げると、彼女は軽く頷き、
「雪の降らないところでは仕方ない」
と再び視線を空に向ける。

何の話かと促すと、彼女はこちらを向いて座り直し、
「子供の頃の記憶だから、多分何かの間違えか、夢の記憶なんだと思うんだけど……」
と前置きをしてから語り始める。

影写しとは、陽の明るいときに自分の影を見つめてから空を見上げると、影の形が空に残って見えるという残像現象のことだという。

夏場でも出来るが、冬の晴れた日に雪の上でやるのが一番はっきり見えるのだそうだ。

幼稚園に通っている頃か、大きくても小学校の低学年の頃に、雪国の曽祖父の家へ正月休みで帰省した。幼い自分としては折角の雪、折角の晴天で、是非とも雪遊びを堪能したいところなのだが、その年は生憎同年代の子供がおらず、男達は昼から酒を飲み、女達はその世話に忙しい。

構ってくれる者の居ないのならと、一人でこっそり庭に出た。出たはいいが、雪玉を投げる相手もいなければ、幼い子供では雪達磨の雪玉を転がそうにも、膝丈ほどの大きさが力の限界で、つまらない。

かじかむ手に息を吐いて温めながら、祖母か誰かに習った影映しを思い出す。よく晴れた空から注ぐ日光を庭の雪が強く反射していて、これなら上手く行くだろうと自分の足元を見て、自分に影がないことに気が付きぎょっとした。

庭木にも、膝丈まで転がして育てた雪玉にも、ちゃんと影がある。自分にだけ、影が無い。
「何だか気味が悪くて、そのまま家の中に戻ったんだけど……。普段、自分の影なんて確認しないでしょう?たまに無くなってたりするのかな」
と、テーブルの下に視線を落とすので、私もつい釣られてその足元を見た。

そんな夢を見た。