第二十夜

夕暮れ。不意に強くなった西風に追われるように吹かれて背を曲げ、マフラーに鼻まで埋もれながら大学の構内を歩いていると、空一面低い黒雲の垂れ込めて一粒ぽつりと来たかと思えばばらばらばらと俄に勢いを増してくる。

この季節に濡れ鼠で歩くのは嬉しくない。時雨ならばすぐに止むだろうから、左手に見えた建物のポーチででも雨宿りをしてやり過ごそうと小走りすると、背負ったリュックサックの中で筆箱の中身がカタカタと悲鳴を上げる。

綺麗な懸垂線を描いて磨り減った階段を上って、すっかり暗くなった中、白熱球の灯でぽっかりと橙色に明るいポーチの下へ入っても、強い風に煽られて横殴りに降る雨粒からは逃れられず、ズボンの脛から下は既に染みになっている。他に誰かいるでもない、出来る限り雨粒を避けるべく風の抜ける方へ移動しようと、重々しく焦げ茶色に輝く木製の扉の前を、濡れた靴で足元を滑らせぬようゆっくりと歩く。

国会議事堂にも見られる和洋折衷の、ある種異様な存在感のある外観から察するに、明治か大正の頃の建物だろうが、この扉は当時のままのものなのだろうか。これまで講義や何かで訪れた記憶はない。いや、あらためて思い返せば、この扉が開いている姿さえ見た覚えがないような気がしてくる。

雨はいよいよ本降りになって、視覚と聴覚とにホワイト・ノイズをもたらしている。

手持ち無沙汰に扉を見ると、艶やかな焦げ茶の扉は気の遠くなるほど細やかなアラベスク文様が蔦の匍うように縁取っていて、その中央には緑青ひとつ浮くことなく磨かれた真鍮の取手が二本、縦に並んで白熱球の灯を反射している。私の立つ位置から扉の中央までは一・二メートルほど。ここから見る限り左右の扉の境界はぴたりと閉じ合わさっており、建物の内から僅かな光も漏らさない精巧さに気付くと、私は思わず息を飲んだ。

と同時に、扉を観音開きに開くとき、屋外へ向けて引き開けるべきなのか、屋内へ向けて押し開けるべきなのかが気になった。西欧の建築物では、多くの扉は屋内、室内へ開く。日本では、多雨の気候のためもあろう、履き物を玄関で脱ぐためもあろう、屋内外を隔てる扉は外へ開くことが多いのだ。

いや、正直に言えば、つややかに輝く真鍮の取手にこの手を触れてみたかったのかもしれない。

いやいや、それも言い訳だ。

私はきっと、梅の花枝にメジロの遊ぶように、菜の花にモンシロチョウの舞うように、この素晴らしい扉の向こうには、きっとこの扉に相応しい、素晴らしい空間が広がっているに違いないと考えたのだ。そして、是非ともそれを目にしたいという欲望が私の足と手とを動かし、一・二メートルを歩かせ、強風に吹き付けられた雨粒に濡れた扉の真鍮の取手を握らせた。

取手に触れた瞬間、掌から背筋へむず痒くも鋭い刺激が走った。それは冬の真鍮の冷感と、漠然とした空虚の予感とのないまぜになったものであった。

私はすぐさま取手から手を離すと、まだ本降りの冷たい雨の中を濡れて走った。

内向きに開くのか、外向きに開くのか。中にどんな空間が広がっているのか。そもそも施錠されているのか、いないのか。

それらのこと一切を確かめるべきではない、決して確かめてはいけないのだという強い確信に、リュックの中の筆箱がカタカタと相槌を打った。

そんな夢を見た。