第百九十七夜

 

休み時間の終わり際、子供達を教室へ戻るよう促しながら受け持ちの教室へ向かっていると、廊下の突き当りの扉の向こうからこちらを覗く子供の姿が見えた。

突き当りにはアルミニウムの枠に上半分がガラス張りの扉があり、校舎の外側に付けられた鉄製の非常階段へ出られるようになっている。学校という施設の都合上、内側から鍵を使って施錠・解錠するように作られている。侵入者対策として外から開けることはできないし、子供の悪戯防止のために、内側からも鍵無しでは開けられない。階段自体も防犯と転落防止のために柵に覆われていて、内側から鍵を用いて格子戸を開けなければ入ることはできない。

その扉の向こうの階段側、一メートルほどの高さから上のガラス窓に、顔だけを覗かせて子供がこちらを見ている。いつの間に、またどうやって鍵を開けたのだろう。

目が合うと子供は踵を返して扉から離れる。危険だと注意をするのは勿論、もし鍵を職員室から盗み出したのであればそれを咎めもせねばならない。追いかけようと、早足に扉に近付きノブを捻る。が、扉はびくともせず、ノブだけがガチャガチャと音を立てる。
――他の階から来たのか。

ここは五・六年の教室のある最上階の四階で、この校舎に屋上は無い。だから、どこか下の階から来たことは明らかだ。手近に居た生徒に急用ができたからと自習を指示し、小走りに階段を降りる。教室に入りかけている同僚を捕まえ、「非常階段に出ている生徒が居た。外への扉が開くかどうか、出入りする生徒を目撃した者が居ないかどうかを調べて欲しい」
と伝えて下の階へ下り、そこでも同じことを繰り返す。最後に一階へ降りて職員室の教頭へ声を掛けたときには、少々息が上がっていた。

教頭は直ぐに事情を飲み込んで、外階段への扉の鍵を確かめると、
「いや、ここにあるな」
と、右手に鍵束を持ってこちらに見せる。
「スペアは?」
「いや、一つだけのはずだよ」
「じゃあ、つい今しがた誰かが返しに来たとか」
「いや、この休み時間に生徒は来てないな」
「そんな筈は……」
「見間違えでは?」。
そんな遣り取りをしていると、三・四年の教室の階で協力を頼んだ教師が下りてきて、
「うちの階の非常扉が開いていたんですが、階段には上下どこにも、誰もいませんでした」
と興奮気味に言う。教頭は、
「既に校舎内に戻った後だった?」
と尋ねるが、彼女は、
「いえ、それが、誰も扉を出入りしているところを見ていないと言うんです」
と首を振る。子供を相手にする仕事をしていると子供の嘘には敏感になるもので、日常の他愛ない会話ならともかく、こういう場面での嘘はまず間違いなく通用しないものだ。それは私も教頭も経験上十分に分かっている。だからこそ、
「しかし、そうなると……」
と改めて非常階段の鍵を示し、
「いつの間にかこの鍵を持ち出して扉を開け、鍵を戻した者がいることになるが……」
と教頭が唸る。

兎に角いちど、その空いている扉を確かめようと、三人で三階へ上る。と、非常扉の向こうから、二人の教師が手を振り、ノブの辺りを指さしている。

何事かと駆け寄ると、扉の錠が掛けられている。

持っていた鍵で錠を解くと、二人は口々に事情を捲したてる。
「悪戯者が上下どちらに逃げたかわからないので、手分けをして捕まえようと、二人で非常階段へ出たんです」
「で、お互い声を掛けながら見て回ったんですが、上にも下にも誰も居なくて」
「だから、僕らが駆けつけるより前に校舎内に戻った後だったのだろうと思って、戻ろうと思ったら、鍵が掛けられていたんです」
「締め出すなんて悪戯にしても性格が悪い。きちんと叱ってやらないと」
「ええ。で、その鍵は誰が持ってたんです?」
と、数人の悪ガキの名前を上げて尋ねる二人に、
「いや、それが……ずっと職員室の鍵置きに掛かったままだったようなんです」。

そんな夢を見た。

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