第百七十二夜

 
「この後、幽霊を見に行かないか」と誘われて、思わず、
「は?」
と間抜けな声を上げてしまった。

頭から外した手拭いで顎の下の汗を拭いながら誘ってきたのはこの剣道クラブで知り合った中年男だ。クラブで聞く限り、酒も煙草もやらず、剣道と娘達の写真を撮ることの他に趣味のない、絵に描いたような堅物だという。引き締まった四角い顔に短く刈り上げた頭を見れば、余計なものを削ぎ落とした生活を送っていると言われても頷ける。

そんな生真面目な中年男が、クラブのメンバー達を誘って肝試しへ行こうというのだから、皆、驚かずにはいられない。
「突然どうしました」
と呆れる最年長の爺様に、彼は着替えの手を休めることなく、普段どおりの生真面目な口調で語り出した。

役所の土木だか何処だかの部署へ、溜池の畔の祠の辺りで幽霊が出るから対処してくれという電話が入ったといって昼食時に話題になった。

勿論、そんなことで役所が動くわけもない。妙な通報だったと話の種になって、その場はお終いになった。

が、娘達も大分成長してなかなか写真を撮らせてもらえない。機材を腐らせておくのも勿体無い。まさか幽霊が出ると信じたわけではないが、溜池の周りの動植物にレンズを向けるつもりで、祠の位置を下調べして出向いてきた。

自家用車を走らせて現地へ向かうと、祠はすんなりと見付かった。簡単に掃除をし、水と団子とを供えて手を合わせると、突然目の前の雑木林から女の呻くような声が聞こえて驚いた。

が、こんなところに昼間から女が泣いている筈もない。音の正体を確かめようと音の方へ向かうと、木のウロから音がする。カメラを向けてファインダーを覗き、ズームしてみると、どうも人の手で作った鳥の巣箱のようなものが収められているようだ。
「その巣箱の板のフシが抜けて穴が空いていて、巣箱の入り口とか大きさ、ウロとの隙間なんかに、上手く風が吹き込んで、あんな音がしてたんですね」
と、淡々と語る彼に、爺様は、
「幽霊の正体見たり何とやら。是非一度拝見してみたいものです」
と、穏やかな笑みを返した。

そんな夢を見た。