第百四十一夜
始めたばかりの写真の練習台に野鳥でもと思い立ち、近所の水場へ出掛けた。池に着いて双眼鏡を手にあちらこちらを見回していると、カラスほどの大きさの見慣れぬ鳥が岸辺を歩いているのに出会った。
頭から背にかけて青みがかった黒色で翼と嘴はもう少し淡い青灰色である。白い胸と腹の下の黄色い脚をひょこひょこと持ち上げて歩きながら浅瀬に餌を探している。
珍しい鳥なのか、それともありふれた鳥なのかはわからない。兎に角、この趣味を始めてから、自分がこれまで如何にモノを見ていなかったかを思い知らされる。
カメラを取り出して構えると、どうもレンズの倍率が物足りない。もう少し距離を詰めたいが、驚かせて逃げられては目も当てられぬ。ファインダを覗きながら躊躇っていると、不意にその鳥がこちらを向いて灰色の翼を広げてピコピコと動かす。
羽根でも繕うのかとそのまま見ているとまたピコピコとやる。それを見て不思議なことに、私を呼んでいるのになかなか来ないので苛々しているのではないかと馬鹿なことを思う。
気が付けば誘われるようにフラフラと一メートルほど手前まで歩くと、今度は翼をピンと立てて見せ、そこで止まれと言っているようだ。
レンズを換えて再びカメラを構えてシャッターを切る。すると鳥は姿勢を変え、ポーズをとるようにピタリと止まってみせるので、こちらもまたシャッターを切る。
そんなことを幾度か繰り返したところで、鳥が再び翼を立てて、今度は私の腰のカバンを指す。バスの中で食べた金平糖の余りがあるのを思い出し、それをご所望なのだと察して一粒投げると、鳥は飛び上がって一飲みにし、そのまま対岸の林へと飛び去ってゆく。
不思議な体験をしたものだとしばし呆気にとられてその後ろ姿を眺めた後、相手がポーズを取ってくれた分、腕の割には良い写真が撮れたのではないかと思うと、一刻もはやく出来栄えを眺めたくなる。
ここへ来る途中に喫茶店が有ったのを思い出すと、そこへ向かう足取りは自然と軽く、また速くもなる。
席に案内されアメリカンを注文すると、早速ノートPCを取り出してカメラの画像を表示すると、手前味噌ながら申し分の無い構図の写真がずらりと並ぶ。色味の加工のし甲斐があるというものだ。
「おや、五位鷺ですか。見事な写真ですね」
と横手から、珈琲を運んできた中年の店長が褒めるので、
「いえ、機材と運がよかったのです」
と事実を述べる。ゴイサギというのはこの鳥の名だろう。
「運ですか?」
とカップに珈琲を注ぎながら尋ねる店長に先程の不思議な出来事を説明すると、彼は、
「なるほど、五位鷺なら、そんなこともあるかもしれませんね」
と顎髭を撫でながら頷く。
どういうことかと尋ねると、
「五位鷺の五位は、貴族の位階の五位のことなんです」
「鳥が位階を持っているんですか?お稲荷さんなら聞いたことがありますが……」
「ええ、なんでも醍醐天皇が、人に鷺を捕らえて献上しろと仰ったのだとか。もちろん、用意もなく野鳥を捕らえるなんて無理難題です。困り果てたその人が鷺に向かって『陛下がお呼びだ』と言ったところ、なんと鷺は自分から捕らえられて、無事献上することが出来た。そして、帝の言葉に従った感心な鳥だと、醍醐天皇はその鷺に五位の位階を賜ったそうです」。
そんな夢を見た。
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