第百三十七夜

 

漫画喫茶のリクライニング・シートに背を預けながら目を閉じている。どうも、こういうところではしっかりと寝られない。うつらうつらと舟は漕ぐのだが、頭の何処かで、財布を取られはしまいかとか、明日寝過ごしはしまいかとか、そういう不安があるのだろう。眠りたいと思う一方で特に聴覚が過敏になって、個室の周囲を歩く足音がする度に意識が戻り、何事もない尾を確認してまたうつらうつらするというのを、もう何度繰り返したろうか。

こんな夜を過ごさねばならなくなったのは、残業を切り上げる時間を間違え、うっかり最終電車を逃したからだ。仕事の持ち帰りが出来た時代ならばもっと効率よく働けていたろうと思う一方、機密保持のために仕方ないという理屈もわかる。人間の社会というのはどうも、便利になっただけ不便になるものらしい。

と、窓外からけたたましい防犯ブザーの音が響く。一息に覚醒した脳裏に、小学生がランドセルにぶら下げている物が連想される。その音が、息子の誤って鳴らしたブザーの音とよく似ていたからだ。慌てて横手の窓を開けるとブザー音は一層大きくなり、確かに間近で鳴っているように聞こえる。

しかし、眼下には雑居ビルの隙間の小道がネオン・サインに、ほの暗い青や赤に照らされているばかりで誰も居ない。

そもそもここは繁華街の雑居ビルだ。時計を見ればまだ午前三時過ぎである。小学生など居ようはずもない。

それでも、防犯ブザーを持っているのが子供でなくてはならないというわけではない。鳴り止まぬ音の主を探すべく、窓から首を出そうとして、
「ちょっとお客さん」
と、背後から腕を引かれて振り返ると、焦茶色のエプロン姿の店員がやや怯えた目をして私の腕を掴んでいる。
「いや、だってブザーが……」
「何のブザーです?」
そう怪訝な顔をする店員の声を聞いて、音の止んでいるのに気が付く。
「夜中に酔って夜風に当たりたいのか、そこの窓を開けるお客さん多いんですけど、窓がブースの床に対して低いでしょ?何人か落ちてるんで、気を付けて下さいね」

そんな夢を見た。