第十二夜

夕まづめ。ユスリカが羽化をしようと湧いて立つのを食らってやろうと、葦のしがらみの陰から泳ぎ出る。昨夜は上流で雨でも降ったか、水はやや濁って流れも早い。

こんな日は食事に夢中になって流される者が少なくない。すると、安心して夜を越せるしがらみや岩の隙間を探すのに、膨れた腹を抱えたまま泳ぎ回る羽目になる。却って効率が悪いのだ。流れに逆らって尾鰭を降りながら、夕陽の照らす河床の、小石の隙間の泥から浮き上がっていく小虫がいないかと目を見張りつつも、自分が今どこにいて、いつものしがらみがどの辺りにあるかをきちんと頭の片隅においておくのが、賢い川魚の生活の知恵というものだ。

不意に、周囲の水の流れが強くなる。全身の筋力を振り絞り、これ以上無い速さで流れに逆らって泳ぎに泳ぐ。流れのおさまったところでちらりと振り返ると、巨きな魚影に表情のない丸い目がこちらを向いている。鯉が大きく口を開けて、水とともに吸い込もうとしたのだ。獲物を狙う者は、最も獲物として狙われやすいと云うのは誰の教えだったか。これもまた、川魚として生きる上で弁えておかねばならぬ教えである。

鯉はと云えばあの図体に相応しく知恵の総身に廻りかねるのか、まだ諦めずにこちらへ向かってくる。あの体型ではどんなに必死に追ったところで、上流に向かって泳ぐ限りこの身を口中に収めること能わざるは必然である。こちらが劣るのは、腹の大きさが違うのだから仕方がない、持久力くらいのものだろう。

そうして鯉に追われるもので、のんびり上流へ逃れているうち、いつもの寝床からは随分と離れてしまったのに気が付いた。迷ったわけではないけれど、食事を途中で邪魔されて空腹でもあるし、これ以上無闇矢鱈と泳ぎ回って腹を空かせるのも、体力を失うばかりで愚かしい。辺りを魚眼で見回すと、中洲のしがらみの下、石の集まり組み合って作った小さな洞に、もう大分傾いた夕陽が差し込んで奥を照らしているのに気が付いた。

あそこだ。

素早く入り込むと、狭く見えた入り口に比して中は存外広々としており、体の向きを変えるのに不自由もない。水もほとんど流れておらず、泳ぎ疲れる心配もない。入り口から外を伺うと、相変わらず表情のない丸い目玉をした鯉が、巨きな体で口をもごもごと動かしている。頭だけでなく諦めも悪いらしい。

このままでは今夜をこのままここで明かし、明日の朝、冷たい水の中で飯を探すしかなさそうだ。全く迷惑な鯉である。

と、唐突に背後の穴の奥へと強く速く水が流れた。

そんな夢を見た。

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