第四百三十六夜

 

目元をハンカチーフで押さえながら幾度も深々とお辞儀をし、礼の言葉を繰り返しながら、小さな自転車を積み込んだ大きなワンボックス・カーに乗り込んだ若い夫婦はゆっくりと去って行くのを見守っていると、こちらの目頭からも二人の前では我慢していたものがついと零れ落ちた。

夫婦は三週間放置された子供の自転車を引き取りにやってきた。この駐輪場では、放置されたまま一ヶ月経った自転車があると登録された持ち主に連絡をすることになっているが、今度ばかりはその期限より先にこちらから夫婦へ連絡を付けたのだ。

少し前から利用者から時折、妙な話を聞くことがあった。思えばそれがちょうど三週間前だったろうか。
――この立体駐輪場の最上階、三階を利用すると、他に人もいないのに自転車のベルの甲高い音が鳴って気味が悪い。
そんな苦情が数件続いた。駅前の大通りにほど近いために騒音も大きく、一階の受付に座ってばかりいるために自分では気付かなかったのだ。
教えられた通りに三階へ登っても音はせず、最初に報告してくれた子供に尋ねると、音は毎回するわけではないそうだ。気になって時折三階を尋ねるようになって漸く昨日、音を聞くことが出来た。自転車が疎らに並ぶ無人の駐輪場に、冷たい金属音が響く。

音の出所を探っていると、また鳴る。原因の自転車は直ぐに見つかった。小学校の中学年くらい向けのものだろう。金属製の円盤の脇に、撥条の付いた部品があり、それを指で弾いて鳴らす単純な仕組みのベルがハンドルに取り付けられ。その部品が小刻みに揺れいている。

風もないのにどうして揺れるものかとじっと見ていると、揺れは次第に大きくなり、ついに円盤に当たって音が鳴り、揺れが小さくなる。が、暫くするとまた段々と大きく振れ始める。

固有振動、という言葉を思い出す。軍隊で行進をしていたら、その足踏みの振動がたまたま橋を大きく揺らす周期と一致して橋が波打ったという話を聞いたことがある。このベルの撥条も、近くを走る電車や車から伝わる振動が増幅されてのものだろう。

そう結論付けて自転車の持ち主を確認して連絡を取ると若い母親が出て、もう見つからないと諦めていた、息子の遺品なので是非引き取らせて欲しいという。

夫婦の子供は三週間前に亡くなったのだそうだ。郊外の河原で見付かったそうだが、遺体の状態から見て、何処か別の場所で車に轢かれて、証拠隠滅のために河原まで運ばれたものと警察に言われたそうだ。自転車に乗って出掛けたことから、犯人は自転車ごと彼を撥ね、川に捨てたか、別の場所に持ち去ったか、何れにしても自転車は見つからず、犯人もまだ捕まっていないという。

自転車ごと轢いたのではないと判って、捜査が進むことを祈りながら、夫婦の車を見送った。

そんな夢を見た。